
満を持して大曲マーラーの5番に挑む。はたして
結論
着実に腕を上げてきた長響が、満を持して取り組むマーラー5番に期待しましたが、弦楽器と管楽器のバランスよくなく、一体感ある燃えるような演奏には至らなかった
概要
長崎交響楽団(長響)は1970年の設立以来、年2回の定期演奏会を中心に、離島・遠隔地での演奏活動、企業協賛コンサート、オペラ公演などを通じて、地域の皆様に音楽文化に親しんでいただけるような活動を続けてまいりました。(中略)
80名を超えるオーケストラ編成と、すべての奏者に高度な演奏技術が求められるこの作品への取り組みは、長響にとって大きな挑戦でもあります。コンサートプログラムより
感想
私もかつて所属していた楽団が、55周年を迎えることまずはおめでとうございます。長崎市のクラシック音楽文化を脈々と牽引してきたこと素晴らしいと思います。今後とも営々と続いていくことを祈っております。

ヨハン・シュトラウスⅡ/美しき青きドナウ
ウィーンつながりでのマーラーとシュトラウスの選曲だと思います。難曲マーラーへの注力のためにも妥当な選曲だと思いますが、私はウインナ・ワルツはあまり好きでないので、ぼんやりと聞いていました。
はじめと終わりにチェロとホルンのソロがあるのですがホルンの音しか聞こえず、ちょっと残念でした。チェロが通常第2バイオリンの場所に配置されていたせいもあるかもしれません。
それにしてもウインナ・ワルツって踊っている人が一番楽しいのではないかと思います。どうか終わりませんようにって感じで変化しながらずっと続く。聞いているだけではもったいない音楽。ちょっと退屈。お正月のニューイヤーコンサートも見ませんね。
マーラー/交響曲第5番 嬰ハ短調
休憩後はお待ちかねのマーラー。プログラムの解説は充実していますが、普通記載される調性が潔くかいてありません。調べてみると嬰ハ短調。C#マイナーです。すぐ思いつくベートーベンの「運命」はハ短調。これより半音上げた調です。ベートーベンを半歩進めたというマーラーの自信でしょうか?
冒頭のトランペットソロももろ「運命」動機です。マーラーがベートーベンの同じ第5交響曲を意識しなかったはずはありません。そこまで妄想できるので、プログラムへの調性の記載もあってよかったかもしれません。

びっくりするような全合奏(テュッティ)のあと、弦楽器が葬送行進曲を奏でますが、もっと歌ってほしいと感じました。もっと伸び縮みしたり、戸惑ったりと人の苦悩を表現してほしいと思いました。淡々としてました。
それにしても弦楽器の音が小さいです。先日聴いたハーバード・ラドクリフ管弦楽団と対照的です。ハーバードの弦楽器群は圧倒的でした。曲ごとに1プルトメンバーが交代する層の厚さにも驚かされました。
弦楽器のボリュームのなさは、ステージ配置に問題があるように思えます。まずオーケストラは舞台の奥のほうに展開しています。客席とオーケストラとの間にかなり広い空白の舞台が広がっているのです。どうしてそうしているのかはわかりませんが、ただでさえ小さい音が遠くに位置することでさらに小さくなっていないでしょうか。
またこのオーケストラのレギュラーの配置、すなわち左から順に第1・第2バイオリン、ビオラ、チェロ、ビオラチェロの後方にコントラバスではなく対向配置でした。左から第1バイオリン、チェロ、第1バイオリンとチェロの後方にコントラバス、チェロの右にビオラ、そして第1バイオリンの対面に第2バイオリン。
マーラーの配置指定はないものの、マーラー当時のこのドイツ式配置の採用はよく行われます。第1バイオリンと第2バイオリンのステレオ効果も対向配置でより際立つでしょうから、この配置を否定するものではありません。
ただしこのオーケストラがこの配置に慣れていないことは考えられます。特に第2バイオリンはいつもそばにいた第1バイオリンから遠く離れ、ブリックホールの特性であるほかのプレーヤーの音が聞こえにくいことも加わり、自信をもって楽器を鳴らすことができたかといえば疑問です。
弦楽器の音の小ささの中で突出するホルン・トランペット・トロンボーンのトップ奏者の見事なソリスティックな演奏。このバランスの悪さが残念に思われる演奏でした。もっと一体感をもって、全員での発火するような演奏がこの曲では求められるような気がします。

アンコールもやってくれましたが、宮沢賢治「セロ弾きのゴーシュ」の「田園」演奏後の楽長のセリフを思い出しました。「こういう大物のあとへ何を出したってこっちの気の済むようには行くもんでないんです。」マーラーで完全燃焼したならばもうアンコールは不要なのです。


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