
「ソウルの春」の衝撃を感じた後、ふとみるとこの映画がかかっていました。セントラル劇場15:10雨でもありたぶん観客は2人でした。
結論
幸せな家族が光州事件に巻き込まれていく悲劇を笑いを交えながら描く佳編。光州事件とは何だったのかの興味を喚起されるとともに、情報の一面性にも気づかせてくれた。
概要・あらすじ
『KCIA 南山の部長たち』では長年独裁者の座に君臨したパク・チョンヒ大統領の暗殺事件を、『ソウルの春』ではその直後に起きたチョン・ドゥファンによる軍事クーデターを、それぞれ史実を基にしたフィクションとして傑作映画に仕立て上げ大ヒットに導いた韓国映画界。そんな中、忘れてはならないのが『ソウルの春』で権力の座を簒奪した軍事政権が引き起こした歴史的悲劇「光州事件」だ。
本作はその事件のど真ん中に生活をしていた「ごく普通の家族」の姿に焦点を当て、権力が市民の小さな幸福をいかにして踏みにじったのか、そして悲劇の中にあっても大切な人を守りたいと願う思いがいかに尊いものであるかを、時にユーモアを交えながらも切々と描いてゆく。涙なくしては語れない韓国現代史劇の新たな傑作映画がここに誕生した。
配給会社HPより引用
1980 年5 月17 日。チョルスの祖父は念願だった中国料理の店をオープンさせる。父親はどういうわけか家にいないけれど、チョルスの大好きな幼馴染のヨンヒや優しい町の人たちに祝福されて、チョルスと家族は幸せに包まれていた。しかし輝かしい未来だけを夢見る彼らを、後に「光州事件」と呼ばれる歴史的悲劇が待ち受けていた。
同上
感想
ソン・ガンホの「タクシードライバー」で「光州事件」はぼんやりとは知っていましたが、そのひどさを本作「1980僕たちの光州事件」にて胸えぐられるほどにはっきりと理解しました。
一昨日はアメリカ、カリフォルニア州中心部でトランプ大統領の移民対策に抗議する人々に、州兵2千人が動員され衝突するという事件がありました。二つの事件の本質はまったく異なるとは思いますが、光州事件が歴史上の過去のできことということですっと流すことのできないリアルさを感じてしまいました。
映画の主張は最後に明確に発せられます。光州事件の具体的な様子を外国人神父の肉声で流されます。「兵が車から人々を引きずり出し殴っていた」神父は最後に「こんなことになったのは誰のせいなのか?」と問いを発すると、画面は白黒の大統領就任宣誓の記録映像に切り替わります。
大統領の宣誓をしていたのは全斗煥。この映画は光州事件の犯人は全斗煥だと明確に宣言して幕をとじるのです。先だってアマゾンプライムで「ソウルの春」を観ていた私の思いはこの全斗煥という人物の悪辣さへの強烈な嫌悪感しかありません。
本作は光州で中国料理店をオープンした家族の物語。祖父・長男の嫁・その妹・次男・孫が家族です。長男は民主化活動家であり、サンウォンという実在の活動家のリーダーの名前が冠されています。実際はサンウォンは農家の出ということなので、そこは「実話をもとにしたフィクション」の部分ですね。
店のオープンのとき、サンウォンはこっそり宣伝のピエロに扮して開店を祝っていました。ピエロも一緒に家族写真に写っている。家族は全員そろっていたのです。

副題の「僕たちの」はこの家族の子どもたち(サンウォンの息子と隣の美容院の少女)の目からの事件も大きくフォーカスしているからでしょう。もちろん家族のそれぞれの関わりが描かれるのですが、無垢な子どもの目から見た光州事件という視点は新しい。
特にスローモーションは印象的。軍隊が店に市民活動家を探しに来た際、活動家が逃れるため店に積んであった小麦粉の袋の中身をぶちまける。粉は中を舞ってまるで雪が降るようです。店で起こっていることとは裏腹にチョルス(息子)は好きな少女とともに雪を楽しんでいるように感じている。それをスローモーションで描きます。

つまりスローモーションは現実とは離れた、チョルスにとっての嬉しい世界をあらわしているように思えます。チョルスの弟妹が生まれたときも、その喜びを体全体で飛行機の恰好で走り回るときもスローモーションで表現されています。
このときチョルスの祖父がスローモーションの中で台詞を話します。これは珍しい。動画のスピードは落ちているのに、台詞のスピードはノーマルです。台詞までゆっくりなったら変ですものね。だから通常はスローモーションに台詞が入ることはないのでしょう。そのルールがすっと破られていて興味深いですね。
本作では家族の問題と光州事件が関わり合っていく過程がクライマックスに掛けて見事に描かれていると思います。それは次男と父の関係。次男は勉強ができる優秀な長男(サンウォン)ばかりを誇りにしている父へのルサンチマン(恨み)がある。
光州事件に巻き込まれた婚約者の死によって、次男は酒に溺れる日々。彼が軍の弾圧へ抵抗する市民運動に参加していくのは当然の流れです。引き留める父を振り払ってトラックに乗っていってしまう。
残された父は、自分にできることは何かを考え、道庁舎に立てこもる活動家達にチャンジャ麺を配ることにする。
サンウォンの嫁の妹の物語もあります。活動家のリーダーと恋愛関係にある妹は、活動家を手伝おうと道庁舎へ向かう。
家族のほとんど(長男・次男・父・嫁の妹)が道庁舎に集結。この後の暗い未来が容易に想像できてしまいます。
恐怖の瞬間は、活動家達のチャンジャ麺を嬉しそうに食べる平和な姿を描いた後、静かな夜の空に美しく照明弾数発光った後に起こります。この対比が衝撃を大きくしています。
照明弾の後に機関銃の光が止めども無く続くことで惨劇を表現します。カットを変えて銃撃シーンをいろいろな角度から映像化するよりも、この暗い夜にきらめく光のみの方がどれだけ恐ろしいことでしょう。現場に居た人々の目にはきっとこのように見えていたはずです。
惨劇の翌朝、白煙の中チョルスが呆然と佇み、カメラが引くと複数の軍人の姿が見えてくる。普通の人々が巻き込まれていった「光州事件」を象徴する印象的で映画的なシーンで映画は終わっていきます。

明るく元気で希望にあふれていた家族が、多くの普通の家族が同様にこの事件の悲劇に巻き込まれてしまいました。今私はこの事件が「北朝鮮」の工作により画策されたと主張する本を読んでいます。この本は「光州事件」の有り様を全く逆の面から見たもののようです。
映画で犯罪の首謀者と主張されている全斗煥に対する見方も真逆です。歴史と真実の同一性の難しさを痛感します。人間が捉えることのできることが何と小さな一部でしかないことでしょう。
慰安婦問題はほんとにあったのでしょうか?南京大虐殺は真実の出来事なのでしょうか?歴史を理解することの難しさを感じることは多々あります。
映画・書籍等様々な媒体で私たちは歴史に出会い、そこから得る作者の主張を自分の中で自分の理解としての歴史として捉えるしかないように感じています。ゆえに多くの書籍等に当たることは重要です。しかし、すべてを読むことはそれは無理というもの。
ユヴァル・ノア・ハラリの「NEXUS 情報の歴史」を読み始めましたが、その冒頭にも情報の一面性が語られています。様々な情報は真実のすべてを伝えることは不可能であり、一面を伝えるに過ぎません。たった一つの情報を盲信することの危険性をしっかり理解しておく必要があります。

光州事件への興味を深めてくれ、情報の一面性まで考えさせてくれた本作には感謝します。過去に鑑賞済みのソン・ガンホ主演「タクシー運転手」がプライムビデオで観れますので、もう一度観てみようと思っています。
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