山田洋次監督作品「男はつらいよ 寅次郎純情詩集」少し悲しいシリーズ異色作 落涙必至

Movie
スポンサーリンク

山田洋次監督作品「男はつらいよ 寅次郎純情詩集」(BSテレ東 4kレストア)を観ました。

samon
samon

結論から言うと、本作はシリーズの中でも少し趣のことなる異色作。ある事実が判明してから、観る者の心情が大転換させられるマジックが仕掛けられています。はっきり言って大オススメ!

次のような順に語っていこうかと思います。

もくじ

1)二人のマドンナ
2)ローカル色
3)大転換のマジック

1)二人のマドンナ

今作の特色のひとつが、マドンナが二人登場すること。しかも、親子です。

甥っ子の満夫の小学校の担任の産休代替教諭雅子(壇ふみ)の上品な美しさに、寅はすぐにメロメロになります。家庭訪問を台無しにして、とらやの皆から非難された寅は、また旅に出ます。

旅先で、どさ回りの劇団にごちそうしたことで、無銭飲食となり、さくらが迎えに行きます。

柴又に戻った寅にさくらは、雅子への恋心を「自分の娘ほどの人に恋するなど恥ずかしい。せめて雅子先生のお母さんほどの年なら許されるのに」と勢いで説教していると、そこに雅子とその母親の綾(京マチ子)が登場します。

さくらの言もてつだって、寅は今度は綾へと恋心を募らせていくのです。

この二人のマドンナと恋の遷移は、これまで無かった珍しい展開です。寅は恋狂いかと思ってしまいそうですが、実は綾は柴又の人で、寅と綾は若い頃からの知り合いだったのです。この辺が脚本のうまさです。

2)ローカル色

寅さんとマドンナとの出会いは、多くが寅の旅先での出会いが多いです。しかし、本作のマドンナ親子は柴又の人。そのため、柴又での物語がとても多くなっています。

旅に出るのは、信州上田の別所温泉。ここで、どさ回りの劇団に大判振る舞いをするのですが、この劇団とは知り合いだったようです。18作以前で出会ったということでしょうか。

それから、エンディング近くでは、いつもの正月の縁日のたたき売りのシーンとは異なり、雅子が柴又を離れて赴任した、新潟の田舎の小学校での寅と雅子との再会で幕を閉じます。これまた、イレギュラーなことです。

つまり、本作は多くが柴又ローカルで物語が進行します。ゆえに旅情という面はなりを潜めますが、この少し悲しいエピソードとしてのリアリティが増すような気がします。

2)大転換のマジック

さて、しっかりものの娘雅子(壇ふみ)に対して、母親綾(京マチ子)はまさに世間知らずのお嬢様。寅もたこ社長もそんなお嬢様の女学生時代のすてきさに焦がれたのでした。バイオリンを下げた女学生の綾の画像は出てきません。すべては、観る者の想像にゆだねられます。うまいですね。

綾と雅子はとらやで夕飯を呼ばれます。雅子は母親の世間知らずなエピソードを次々に暴露します。母親は怒ってしまいます。それもまさにお嬢様らしい姿。観る者は、ほほえましく思いながらも、この母親のことを「お馬鹿なお嬢様」と感じることでしょう。

しかし、それが大転換します。雅子がさくらに「母はもう長くない」ことを漏らすことによります。また、おいちゃんの話から、綾が政略結婚で家を救うために、成金に嫁に行ったという一言。綾の不幸せを知ったとき、我々の彼女への見方が180度転換するのです。

それからは、綾のふるまいや寅とのやりとりが、もう悲しくてたまりません。さくらは、寅に綾が余命が少ないことを一切漏らしません。寅は何も知らず、綾との楽しい日々を過ごしていくのです。同情ではない、まさに恋心で綾を楽しませていきます。

綾が逝った後、雅子は寅に問います。「寅さんは母を愛してくだすったの?」

寅は照れて「いや、愛するなんて・・・」と言いよどみます。

「誰にも愛されなかった母にとって、寅さんとの日々は本当に幸せだった」と雅子は言います。

寅の純真な恋心が、不幸せだった一人の女を、ほんの短い間でも輝かせた。まさに同情で無かったからこそ価値があったのではないかと思います。だからさくらの何も言わなかった選択は正しかったと思うのです。本当に素晴らしいシナリオの妙だと思います。

samon
samon

とらやのみんなが,綾の商売について一生懸命に考え、次々にアイディアを出していくシーンもすてきです。そのやさしさあたたかさに落涙必至です。さあ、少し悲しい本作「寅次郎純情詩集」ぜひ、観てみてください。大オススメです。

コメント

タイトルとURLをコピーしました