日曜深夜の「関ジャム完全燃SHOW」は楽しみにしているTV番組です。前回のゲストは「松田聖子」。彼女への様々な質問がぶつけられた。例えば「表現の個性を意識していたのか?」とか具体的には「『瞳はダイヤモンド』の声がひっくり返るような表現はどう生み出したのか」など。その答えは「個性や表現法については全く意識していない」ということ。
デビューから3ヶ月に1枚のペースでシングルを出していた彼女は、そのあまりの忙しさに、スタジオで新曲をもらって、すぐレコーディングするといような日々であったらしい。意識してこう歌おうなどと考えるまもなく、自然に表現されてきた歌なのである。彼女の天才性をよく表している。
曲のディレクションに関しても、作曲者は「風が吹いている感じ」だとか「青い海を見つめている感じで」など実に抽象的であったらしい。それを自分の中で解釈して表現している、
これはクラシックの世界では実に普通のことである。以前マーラーの「巨人」の第3楽章で、ある指揮者は「ユダヤ人の仲間の棺を隠れて運ぶ行進曲」と表現し、テンポが少し上がって局長が変わるところでは「ドイツ軍の兵士が行進をしてきた」と話してくれた。その影像を各奏者はそれぞれに解し、自分の表現をしていった。
レギュラーの古田新太は、松田の表現の話を「長嶋茂雄のようだ」と言った。細かい論理やメソッドでない、天才故の感覚的な表現法と言うことだ。うまいこという。
松田聖子のレコードを持っていたはず。棚に「Canary」があった。A面を聴いてみる。どの曲も実に心地よい。A面最後は「Diamond Eyes」そう名曲「瞳はダイアモンド」である。このアルバムは全ての楽曲名が英語になっている。天才松田聖子を楽しんだ土曜日である。
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