
昨年の話題作が早くもアマプラに。はたして
結論
先端恐怖症や注射が嫌いな人はつらい。美への人間の欲望をこれでもかと突き付けてくる痛い作品
概要・あらすじ
コラリー・ファルジャが監督、脚本、編集、製作を手掛けた[2]。年齢を理由に仕事を失った、かつて一世を風靡したスターをデミ・ムーアが演じ、クローン技術に手を出した彼女が、美と若さに固執して破滅してゆく様を描く[3][4]。R15+指定[2]、上映時間142分
wikiより引用
元トップ人気女優エリザベスは、50歳を超え、容姿の衰えと、それによる仕事の減少から、ある新しい再生医療<サブスタンス>に手を出した。
接種するや、エリザベスの背を破り脱皮するかの如く現れたのは若く美しい、“エリザベス”の上位互換“スー”。抜群のルックスと、エリザベスの経験を持つ新たなスターの登場に色めき立つテレビ業界。スーは一足飛びに、スターダムへと駆け上がる。
一つの精神をシェアする存在であるエリザベスとスーは、それぞれの生命とコンディションを維持するために、一週毎に入れ替わらなければならないのだが、スーがタイムシェアリングのルールを破りはじめ―。公式HPより引用
感想
独特のカメラアングルとセリフの少なさが際立つ作品です。エリザベスとスーは同一人物ですので、登場人物は1人ということになります。二人は同時には会話を交わせないので、もっぱらひとり芝居。演劇のひとり芝居のようにぺらぺらしゃべりませんので、必然的にセリフはほとんど無くなってしまう。
すると映像で表現していくしかなくなるというわけですね。凡庸なカメラワークでは観客をつなぎ止めておくことができません。独特の映し方が必要となります。
冒頭からそれは始まります。道路に丸い枠。何?と思っていると、職人さんが来て円の中に星の型どり。星の真ん中にエリザベス・スパークルの名を入れて、そうハリウッドとかの道路にありそうな、スターさんの名前のモニュメント。
ぴかぴかのモニュメントは、雨に打たれ人に踏まれ時を過ぎてひび割れていく。エリザベスの美の劣化を俯瞰からの固定されたカメラで表現します。終いにはハンバーガーが落ちて、ほとばしったトマトケチャップを足で雑に広げられる。もはや省みられることが無くなったエリザベスを象徴的に映します。
先端恐怖症というか、注射嫌いというか、針を身体に刺す描写が多いのでそういうの嫌いな人にはなかなかつらいですね。特に太い針を背中に刺して髄液を取り出すところは痛いですねえ。
彼女がバスの裏に隠し部屋を作る大DIYをひとりで貫徹しますが、リアリティに欠けます。部屋の掃除は人を雇っているのですから。
スー(マーガレット・クリアー)は美しくエアロビシーンも下半身のアップなど多用されますが、不思議にいやらしくないです。健康的なお色気に満ちていてすばらしい。デミ・ムーアの分身なわけですから、若い頃のデミに似ているはずだと思うわけですが、19歳のデミの写真を見ても似てはいません。

そんな理屈は忘れさせてしまう勢いがこの映画には有るように思います。デミは63歳ですが、衰えを強調した表現が続くので、それを引き受けた役者魂には頭が下がります。

スーはエリザベスの分身でありながら、若さの喜び、快楽に負け、自らルールを破り破綻へと突き進んでいきます。スーの身体は若返ったわけですが、その意識はどうなっているのかははっきり分かりません。老成したエリザベスのものが伝達しているのかどうか。もし意識自身も若返っていたら、この過ちは仕方が無いのかもしれません。
つまりこのクローン技術は破滅することが分かっている恐ろしい施術ということ。エリザベスにサブスタンスを勧めた若い医師はそれを承知で自分の道連れをつくったということになります。
「かわいさが暴走して阿鼻叫喚」が本作のキャッチフレーズですが、大晦日の特別番組でまさにこの阿鼻叫喚に至ります。このシーンはブライアン・デ・パルマ監督の「キャリー」のプロムシーンも真っ青の血まみれ噴水の有様。プロデューサーや出資者の欲にまみれた男どもを血まみれの渦にたたき込む。

若く美しい女を求めて、老いた女は容赦なく切り捨てる男どもの欲といつまでも美しくいたいとする女の欲の醜さをこれでもかを見せていく映画に思えました。でも人間はこの欲にはいつまでも勝てないのかもしれません。
もはや怪物と化したスー(エリザベス)は冒頭のエリザベス・スパークルの街路のモニュメントの上で息絶えることとなります。その時に何を思うのか。私はセリフの少ないこの映画全体から感じられる孤独感でした。

とんでも映画ですが、この作品には独特の爽快感があるという評論家もいます。わたしはあまりそうは感じませんでしたが。アマゾンプライムで見放題です。よければご覧ください。

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