
30年前に私自身がアメリカに渡ってセントポール市で演奏をしました。友情の演奏を今回は客席で聴かせてもらいました。
結論
絨毯敷きに弦楽器の音はかすかすになり、木製のひな壇がその上に乗っている管楽器の直接音を強烈に放射し、そのアンバランスにすばらしき友情の演奏が、何割引にもなってしまう残念さ。優良な音楽ホールの少なさが世界中に公開されたともいえるかもしれない。
概要
1945年の原爆投下から80年、そしてアメリカ・セントポール市との姉妹都市提携から70年という節目の年に、私たちは音楽を通じて平和への祈りと友好の心を新たにいたします。
日米の市民オーケストラがひとつとなって奏でる音楽が、皆様の心に平和の響きとして届きますように
プログラムより引用
感想
冒頭市長とセントポール側の指揮者ジェフリー・スターリング氏からメッセージの朗読がありました。平和祈念でありかつ記念演奏会ですので、このセレモニーは仕方が無いこと。どちらも長くなくてよかったです。
さあ演奏会です。1曲目はスターリング氏の指揮でバーンスタインの「キャンディード序曲」大好きな曲です。リズムが複雑ですので、速くなりすぎないようにテンポに注意した指揮はとても良かったと思います。管楽器が中心となるこの曲は心地よく流れていきました。
指揮者交代で日本側は長崎交響楽団の指揮をずっと務めている三河正典氏登場。外山雄三の「管弦楽のためのラプソディ」日本の旋律や民謡の外国への紹介曲です。これも打楽器・管楽器中心の音楽。セントポール側のパーカッショニストが和太鼓とか元気に叩いていて、友好を感じさせてくれました。
再びスターリング氏が登場し、今回の目玉の曲となるスティーヴ・ハイツェグ作曲の「黒い雨の後に芽吹く希望の緑」日本初演です。原題は「Green Hope After Black Rain」なのでまあ直訳ですが、原題のままでもよかったかなとも思います。
3楽章から成るこの曲で貫かれる印象的な楽器は「石」です。2つの石くれをぶつけて炸裂する甲高い音。なんでもない石くれの音は、なんでもない私たち普通の人間の悲痛な叫びにも聞こえます。1楽章では強制収容所に入れられた日系アメリカ人の叫び。2・3楽章では原子爆弾で苦しめられた長崎の人々の叫びを表現していると感じました。
この曲に至って、弦楽器と管・打楽器のアンバランスさを強烈に感じることになります。管・打楽器の直接的な大きな音に対して、弦楽器はくもりがちであり弦楽器群の艶やかな音色が聞こえません。これは弦楽器奏者の技術や楽器の質の問題ではないと思います。
ずばり会場の問題です。会場は音楽ホールではなく、国際会議場として作られたところです。会議場ですから音声が明瞭に聞こえることが求められたはずです。音楽ホールで求められる響き・残響の長さとはある意味まったく反対の条件の場所といっていいでしょう。
さらに残酷なのは、弦楽器にとって最も重要な響きが床に貼られている絨毯のようなものに吸収されてしまうことです。この床素材によって、複数の弦楽器が集合して紡ぎ出される艶やかな音色は大きく減ぜられていると思います。

重ねてひどいことに、フルート・オーボエ・ファゴット・ホルンなどの管楽器群は絨毯の上にしつらえられた木製のひな壇の上で奏します。管楽器の大きな音はこのひな壇の木材にぶつかって、弦楽器とは逆に直接的な音が観客に突き刺さってきます。
この会場と会場設営における音響的アンバランスが本当に残念でした。日本初演のこの曲の感動はもし優良な音楽ホールで演奏されたなら何倍にもなっていたと思います。
たぶんシェラザードだったとも思いますが、多くの人数のバイオリン群の旋律が、たった2人の管楽器(フルートとオーボエ)のオブリガートに負けてしまうという恐ろしいこともありました。
とまれ、日本初演のこの曲には例えば2楽章でいくつもの千羽鶴のたばをゆすって音を出すなど、おもしろい工夫がありました。3楽章も希望あふれる旋律でしめくくられて、聴いた後にあたたかい気持ちになるすばらしい曲でしたので、ちゃんとした会場で聴いてみたいと思いました。
会場難は次の「王子と王女」の冒頭で決定的に感じられます。柔らかい弦楽器の旋律が魅力の部分ですが、音量が小さくさらにカサカサな音色がとても落胆させられます。終盤のバイオリンソロが見事だったので多少ホッとしました。
そんな中でも日本初演とシェラザードでは、ハープの活躍が光っていました。聞いたところによると、ハープ奏者はプロのエキストラではなく、長崎交響楽団の団員さんとのことでびっくりです。まったくアマチュア感のない、堂々たる演奏でその心臓の強さをうらやましく思います。

最後の「スターウォーズ」は金管楽器ばりばりの曲なので、聴衆の満足度は十分。チューバが2人もいたので驚きました。幻想交響曲なみです。アンコールがなかったのは残念。アメリカ国歌とかやって欲しかったなあ。
友情の演奏はすばらしいものでしたが、会場の劣悪さが直接音の音楽になってしまい、いくつもポイントを下げてしまう残念な演奏会でした。長崎市に音楽会場が少ない点、かつ優良な音楽ホールがない点を全世界に露呈してしまうことになったのではないかと思いました。

よい音楽ホールがない→優良な演奏を十全に甘受できない→市民は優良な文化に触れる機会が減っていく 長崎の音楽文化発展にすぐれた箱が急ぎ必要だと強く思います。
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