追悼マウリツィオ・ポリーニ「ショパン練習曲」を修理から戻ったLINN AXISで聴く

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イタリア、いや人類の至宝ピアニストのマウリツィオ・ポリーニが亡くなりました。百田尚樹氏がポリーニ愛ゆえの死去への悔しさを熱く語っていました。

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LINN AXISターンテーブルの帰還

ヤフオクにて入手したLINNのレコードプレーヤー。トーンアーム止めの破損、アームリフターの故障を中心にオーバーホールを仙台の「アダージョオーディオ」の冨川さんにお願いしていました。昨年末に送ったのですが、冨川さんが体調を崩されて修理が遅れていました。

3月になってそのAXISターンテーブルが戻ってきました。部品等がないなか見事に修理されており、ありがたく思います。「古い機械でもよいものは大事に長く使っていきたい」という冨川さんの考えには100%同意です。生まれ変わったターンテーブルを大切に使って音楽を楽しみたいと思います。

さて、冨川さんのアドバイスをもらって、消耗品のスピンドルオイルとドライブのゴムベルトを購入しました。LINNジャパンの純正を注文しました。なかなかに高価でした。ほとんど重量のないものですが、送料も結構しました。贅沢品と割り切ります。

スピンドルオイルの交換は、まず残存のオイルを全部拭き取るところから始まります。ほとんど残っていなかったのでこれは簡単でした。LINNの説明書の指示どおりオイルを半分ほど投入。スピンドルの穴のまわりにティッシュを巻き付けプラッターを戻します。30秒ほど手動でプラッターを回転させます。

書き落としていましたが、プラッターが錆びないよう手袋装着で作業しています。

プラッターを持ち上げてみると、ティッシュにオイルが染みこんでいます。プラッターの軸が穴に入ってその分がこぼれて出たもので、これが正解。

ドライブベルトにボールペンで回転方向の矢印(←)とその日の期日を書きます。黒いベルトに黒ペンで書くので見えにくいですが、指示通りしておきます。

スイッチを入れるとテーブルが回転し始めました。よし!準備完了です。

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マウリツィオ・ポリーニ

卓越したテクニックと知的な解釈で知られるイタリアの世界的ピアニスト、マウリツィオ・ポリーニ氏がミラノの自宅で亡くなりました。82歳でした。

マウリツィオ・ポリーニは1942年1月5日イタリア、ミラノで生まれました。父はイタリア合理主義を代表する建築家ジーノ・ポリーニ、母はのレナータ・メロッティは歌とピアノを演奏し、兄のファウスト・メロッティも彫刻家、陶芸家、詩人でした。ポリーニはインタビューで「私は芸術と芸術家のいる家で育ちました。古い作品と現代の作品が生活の一部として共存していました」と語っています。

ポリーニは10歳の誕生日を迎える前にコンサートを開き、14歳でショパンのエチュードを演奏。1960年、18歳でワルシャワのショパン国際ピアノコンクールで89人の出場者の中で最年少の外国人ピアニストとして優勝しました。審査委員長のアルトゥール・ルービンシュタインは、ポリーニについて「すでに我々の誰よりも上手く弾く」と語ったのは有名です。

しかし、国際的な評価を得た後、ポリーニは勉強のためにキャリアを中断しました。
「勉強してレパートリーをもっと知り、ベートーヴェン、シューベルト、ブラームスの音楽を演奏したかったのです」。

ポリーニは1968年に演奏活動に復帰。同年、初のアメリカ・ツアーを行いました。1970年代から90年代にかけては、ドイツ・グラモフォン・レーベルとの録音を重ね、バッハ、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、シューマン、ショパン、ブラームス、ドビュッシー、シェーンベルク、バルトーク、ストラヴィンスキーといった幅広いレパートリーに名演を示しました。1974年には初来日しています。

2002年には「ポリーニ・プロジェクト」と名付けたコンサート・シリーズで、古典作品と現代音楽を組み合わせた演奏会を東京で全9回にわたって開き大きな反響を呼びました。2010年には高松宮殿下記念世界文化賞を受賞するなど、日本と深い結びつきをもった巨匠のひとりでもありました。

謹んでご冥福をお祈りいたします。
(タワーレコード)

タワーレコードのサイトより引用
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ショパン「練習曲」作品10

  • 作品年: 1829年 (19歳)

ショパンは、ピアノ協奏曲を作曲し始めていた中、ショパン自身も協奏曲の演奏の難しさに嘆いていました。そのような協奏曲という大作を作曲する過程で、協奏曲がうまく演奏できるように、練習曲を作りたい!と思ったショパンは、練習曲の作曲をはじめました。

このエチュード作品10は、フランツ・リストに献呈されています。

ネットより引用

百田直樹はyoutubeLiveの中で、たいていの曲は初見で弾けたリストが、初めて初見で弾けなかった曲がこの練習曲だと言っていました。それくらい技術的に難易度が高い。

元々自分のために練習曲を作曲していたショパンは、当初この練習曲を「エクササイズ」と名付けていました。しかし、世に出す際に「エチュード」(練習曲)と名付けたそうです。

元々練習曲といえば、技巧的な部分の問題点を改善するためのものとされていましたが、ショパンは高度な技巧だけでなく、メロディーやハーモニーの美しさを重要視して、大作を演奏するうえで必要なあらゆる練習を取り入れたいと思い、このような美しく素晴らしい練習曲が完成しました。

同上

単なる技術練習だけに終わらないのが、この曲を名曲たらしめているわけですね。

感想

DENON DL103の針を落ろすと、ハ長調の冒頭曲が始まります。右手が2オクターブの上昇下降を猛スピードでくり返す曲。この右手の音がすべて粒だって聞こえるのに驚いた昔が蘇ります。

百田氏は、「音の一つ一つが輝いていた」と表現しましたが、まさにそのとおりです。

3曲目が有名な「別れの曲」。本当に絶妙のテンポ設定です。百田氏曰く、「別れの曲」等の標題はショパンがつけたものでないと話していました。ショパンは標題をつけるのを好まなかったそうです。

5番は「黒鍵」と呼ばれますが、以前小学生が弾いていたので、練習曲の中では少し易しいのかもしれません。この曲も音符のすべてが明確に聞こえてくる、まさにポリーニの明晰さ。

終曲は「革命のエチュード」でしめくくられます。圧巻。

samon
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ブラームスのPコン第2番、シューベルトの「さすらい人幻想曲」も聴いて追悼しました。音楽にどこまでも厳格で完全主義者のポリーニの芸術はいつまでも録音に残されます。冥福を祈ります。

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