ベルリンフィル日本公演 ひとつのファミリーとして音楽を全身で体現する本場のすごさ

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NHKEテレ「クラシック音楽館」での演奏を聴きました。本番本物のすごさをビシビシと感じることができました。

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日本公演概要

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団は、2023年11月14日から26日まで、全国6都市で全10公演を開催しました。この公演は、首席指揮者・芸術監督のキリル・ペトレンコの待望の初来日公演となりました。

公演は、高松、名古屋、姫路、大阪、東京、川崎で行われました。姫路公演は2023年11月18日(土)に開催され、大阪公演は2023年11月19日(日)に開催されました。

毎日新聞グループが運営するクラシック音楽専門サイト「毎日クラシックナビ」では、2023年のベスト公演に、キリル・ペトレンコ指揮のベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の日本公演が選ばれました。

生成AI

■プログラムA(11/24、11/26)
モーツァルト:交響曲第29 番 イ長調 K.201
Mozart: Symphony No.29 in A major, K.201
ベルク:オーケストラのための3つの小品 Op.6
Berg: Three Pieces for Orchestra, Op. 6
ブラームス:交響曲第4番 ホ短調 Op.98
Brahms: Symphony No.4 in E minor, Op.98

■プログラムB(11/20 、11/23 、11/25)
レーガー:モーツァルトの主題による変奏曲とフーガ Op.132
Reger: Variations and Fugue on a Theme by Mozart, Op.132
R.シュトラウス:交響詩『英雄の生涯』 Op.40
R.Strauss: “Ein Heldenleben“, tone poem Op.40

特別協賛「龍角散」が目に飛び込みますね。いまや企業の力なしに優良オケの来日はないのかもしれません。頑張れ文化を牽引する日本企業。

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感想

モーツアルト:交響曲29番

人数をぐんと絞っての精鋭部隊での演奏。そこから出てくる音楽のなんと豊穣なことでしょうか。巧みなダイナミクスの変化、長調と短調のひらめき、安心して身を任せることのできる世界です。

ベルク:オーケストラのための3つの小品

金管楽器等も加わり大きな編成に変わります。

ベルクはモーツアルトと同じオーストリアの作曲家です。無調を経て十二音技法の作品を残しました。十二音技法に調性を織り込んだ作風で知られています。

本作も、調性がある聴きやすい作品。数々の打楽器も登場しますが、驚きは巨大な木のハンマーの「ドスン」でしょう。初めて見ました。

ベルリンフィルの演奏は精緻な中に充実のエネルギーの放出がありました。

ブラームス:交響曲第4番

大好きなシンフォニーです。ワルター/コロンビア響の第2楽章の演奏には涙しましたね。

ペトレンコとベルリンフィルの演奏の充実ぶりは、この曲をあらためて「素晴らしい」と思わせてくれるものでした。

インタビューでコンマスの樫本氏が語っていましたが、ベルリンフィルの独自性は、各メンバーがベルリンフィルというファミリーとしての結束の固さ、信頼の厚さにあるということ。

家族を信じて託すように、家族を思って支えるように、超一流の技巧をもったメンバー達はともに演奏に入ったときに、集団として何倍もの力を発揮するようになるようです。

特に終楽章「パッサカリア」の凄さは、私の筆力では表現不可能な感動がもたらされました。

TV画面を通じてさえこの凄さなのですから、この演奏を生で聴けた人々は本当にしあわせな方々とうらやましく思います。

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ベルリンフィル

設立は1882年5月1日で、ベンヤミン・ビルゼが監督するオーケストラから脱退したメンバー54人が母体となり、6人のメンバーを加えて自主運営楽団として発足した。団員の平均年齢が30歳未満という若い人中心のオーケストラであった。最初の定期演奏会は1882年10月23日、フランツ・ヴェルナーの指揮で行われた。

1884年にはヨハネス・ブラームスが自作の交響曲第3番を指揮し、ピアノ協奏曲第1番を弾いた。

wikiより引用

ニキシュ→フルトベングラー→チェリビダッケらの演奏は録音として聴くことができますね。

その後帝王カラヤンが君臨します。カラヤンに関してはアンチも多いのですが、私は大好き。特にオペラがすばらしい。必聴のディスクは次の間奏曲集。

カラヤンの後任の選出にあたっては、楽団員が自分たちで常任指揮者を選ぶ方式となった。これはベルリン・フィル特有のもので、1989年に初めて導入され、ベルリン市内で行われる非公開の会議は、その方法になぞらえて「音楽界のコンクラーヴェ」とも呼ばれ、各種報道等においてもこの比喩が用いられる。カラヤン以降は、同方式によって首席指揮者が選ばれている。

同上

その後現代的な名指揮者アバドが数々の名演を残しました。そしてラトル→ペトレンコと続きます。

上のジャケットは映画「TAR」でパクられてましたね。

2009年6月、樫本大進が第1コンサートマスターに内定し[5]、2010年12月、正式に就任した。他に、第1ヴァイオリンに町田琴和、第2ヴァイオリンに伊藤マレーネ、ヴィオラの首席に清水直子が在籍している。また、1978年から1981年までの3年間、トロンボーン神谷敏が契約団員として在籍していた。

同上

今回の映像でも、日本人や東洋人の顔はたくさん見られました。誇らしいことです。

samon
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2023年の秋にはベルリンフィル、ウィーンフィルが来日していて、名門オケが同時期に聴けるなんて日本って素晴らしい国です。

コメント

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