待ってました!大好きなエンニオ・モリコーネのドキュメンタリーが長崎セントラル劇場で公開されました。朝10時半からの毎日1回だけの上映ですが、すぐに駆けつけました。監督トルナトーレの目から見たモリコーネの姿が、多くの映画作品とともに見ることができます。そして、晩年で自らの生涯を肯定していく姿が感動的です。
結論
- 多くの人々のインタビュー、モリコーネ自身の語りで彼の人生が年代順に語られわかりやすい。
- 彼の創った音楽を、その映画の映像と共に楽しむことができるすばらしさ。
- 彼の指揮によるコンサート風景も多数挿入され、音楽映画としても楽しめる。
- 葛藤とそれを乗り越えた一人の作曲家の人生は感動そのもの。
おいたちから学生時代
映画は、モリコーネが書斎にやってきて床にねそべって体操をするシーンから始まります。彼は毎日4時に起きて体操し、そして作曲するということを日課にしていたのですね。健康の大切さを知り、ゆえに91歳まで作曲や音楽活動を継続できたことを示しています。
このドキュメンタリーは多くの人々のインタビュー、記録映像、そして彼が音楽を手がけた映画のシーンで構成され、モリコーネの生涯を時系列にそってたどっていきます。
1928年ローマに生まれます。父はスタジオミュージシャン的トランペット奏者で、息子にもトランペット奏者になることを強制します。映像はトランペットを必死に練習する少年の映像が白黒で現れます。これは本人ではないかな?
音楽を学ぶうちに、楽器の演奏よりも作曲の方に興味を惹かれたのでしょう。ローマ・サンタ・チェチーリア音楽院でペトラッシに作曲を学びます。映画からは、この師が生涯彼にとって大事な師であることが伝わります。同時に葛藤に苦しむ人生を歩むことにもなります。
師の元でモリコーネが学んできたのは絶対音楽。音楽のための音楽だったわけです。映画音楽はこれに対して応用音楽といわれ、真に追究すべき音楽ではないという考えをモリコーネはもっていたのでしょう。
映画音楽
ペトラッシはモリコーネの才能を認め、音楽院に教師として残る道を開こうとします。モリコーネもそれを受け入れようとしますが、ペトラッシの対抗者に阻まれ実現しませんでした。モリコーネは食べていくために、商業音楽のアレンジなどの依頼を引き受けていきます。映画音楽の編曲や作曲も手がけていくようになります。
彼の名を知らしめたのは、クリント・イーストウッド主演のマカロニ・ウエスタン「荒野の用心棒」のテーマソングです。ギター伴奏に口笛のメロディが響くこの曲は、今ではウエスタンの定番にもなっていますね。でも、後の回顧でモリコーネはこのメロディが「もっとも嫌いだ」と語っています。
やはり彼の中には、自分の極めるべき音楽はこいうものと違うんだという考えがあったのでしょうか。しかし、映画のシーンに合う音楽のアイディアが次々と浮かんできて、それを作曲していく天才の彼には、次々に映画音楽の依頼が入ってきます。そして、名作が次々と生まれていきます。
マカロニ・ウエスタンからの盟友セルジオ・レオーネ監督の「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」での「デボラのテーマ」。ローランド・ジョフィ監督の「ミッション」での「ガブリエルのオーボエ」。ブライアン・デ・パルマ監督「アンタッチャブル」ではグラミー賞を受賞しました。
そして本作の監督、ジョゼッぺ・トルナトーレ監督との「ニューシネマ・パラダイス」「海の上のピアニスト」これらの流れるだけで涙が出そうな曲が、その映画の画像とともに楽しめるのは、このドキュメンタリーの大きな魅力となっています。
葛藤を乗り越えて
モリコーネは6度もアカデミー賞にノミネートされました。しかし、どれも賞を取ることはできませんでした。本作の中では、彼を抑えて、「ラウンド・ミッドナイト」で受賞したハービー・ハンコックに対し、「この映画の音楽のほとんどは、既存のものではないか」と悔しそうでした。
2007年、これまでのモリコーネの業績に対し、アカデミー名誉賞という特別賞が贈られました。壇上で挨拶するモリコーネは、「この賞を妻のマリアに捧げたい」と語りました。モリコーネにとってマリアの存在の大きさがよくわかるスピーチでした。
1956年にモリコーネはマリア・トラヴィアと結婚し、4人の子供にも恵まれます。とても美しく聡明そうな彼女が、生涯モリコーネを支えてきました。マリアは音楽に詳しくなかったのですが、それゆえにモリコーネは作曲した曲をまずマリアに聴いてもらい、採用するかどうかを決断したようです。
アカデミックに縛られていない純粋な耳を信用したことは、自らがアカデミックに縛られていたことを自戒するように思えますね。
アカデミー賞受賞に恵まれなかったモリコーネですが、2016年タランティーノ監督の西部劇「ヘイトフルエイト」でついに受賞します。授賞式の壇上で、タランティーノは「モリコーネは現代のベートーベン、モーツアルトだ」と絶賛します。
ところが、モリコーネは苦笑します。なぜなら、モリコーネはバッハには敬意をもっていましたが、ベートーベンやモーツアルト、メンデルスゾーンからの影響は全く受けなかったと述べているのです。だから、タランティーノの賞賛は、モリコーネにとって全然うれしくないものだったのですね。
モリコーネはタランティーノのこれまでも映画音楽に対して批判的でした。様々なところから取ってきた既存の曲を切り貼りしたコラージュ的な音楽だったからです。オリジナルを作曲するモリコーネとは方向性が全然違ってたわけです。今回の受賞は、音楽を依頼したタランティーノが、モリコーネの方向性に口を出さずに、任せたからではないかと思われます。もし、口出ししたらモリコーネは降りていたでしょう。
それにしても、マカロニウエスタンで名声を高めたモリコーネが、念願のアカデミー賞を西部劇の音楽で取るというのも運命的ですね。ただし、大嫌いだった「荒野の用心棒」のメロディと「ヘイトフルエイトの」で創造した音楽はずいぶん違っているようですが。
さて、ドキュメンタリーの終盤でモリコーネは語ります。あれほど追い求めていた絶対音楽とある意味下に見ていた映画音楽(応用音楽)が、今一つに収斂してきているように思うんだと。
実際にトルナトーレ監督の最近作「鑑定士と顔のない依頼人」の音楽を聴くと、流麗なストリングスの響きはこれまでのモリコーネの音楽そのものですが、そこに少し抽象的な音楽の香りがまとわれている感じがします。
モリコーネは自分の中で、葛藤し続けた絶対音楽と応用音楽の壁を乗り越え、モリコーネの音楽として一つに溶け込ませることができたのではないでしょうか。
2020年7月、転倒による大腿骨骨折の為に入院中でしたが、ローマの病院で亡くなりました。91歳でした。彼の創造した映画音楽は500以上にものぼります。
157分の長尺ですが、あっという間の時間でした。モリコーネファンはもちろん、多くの方に観ていただきたい良質のドキュメンタリー映画です。この映画に触発されて、モリコーネのことさらに深堀したくて、2冊の本も読むことにしました。「映画音楽術」「あの音を求めて」です。2冊とも図書館にあります。
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