生誕150年 ラフマニノフを聴く① 作品1 ピアノ協奏曲第1番 大改訂で徹底的に書き直され、新しく生まれ変わる アシュケナージとプレヴィンで

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結論

  • ラフマニノフらしさがあふれる名曲であることを再確認
  • 超名曲の2番3番の後に大改訂された本作は、もはや原典版では全然別物かも知れない。
  • 繊細さとダイナミズムを見事に表現するアシュケナージとプレヴィン・ロンドン響
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概要

モスクワ音楽院在学中であった1890年から1891年にかけて、同音楽院の卒業試験のために書かれた。彼は学生時代にこの曲以外にも管弦楽曲弦楽四重奏曲を作曲しているが、この協奏曲で初めて一般的に認知され、モスクワのA・グートヘイルから記念すべき「作品番号1」として出版された。
 作曲当初はラフマニノフ自身もこの作品に満足していたものの、1908年に友人のモロゾフに宛てた手紙の中で「わたしをぞっとさせる3つの作品」として《ジプシーの主題による狂詩曲 作品12》、《交響曲第1番》とともにこの作品の名を挙げている。そして1917年に(つまり第2番第3番の協奏曲を発表した後に)徹底的に改訂され、現在のものとなっている[1]
 なお、この改訂の後、ロシアではソヴィエト政権が樹立し、ラフマニノフは一家でフィンランドに亡命したため、この作品は彼がロシアで完成させた最後の曲ということになる。
作品は作曲者の従兄のピアニスト、アレクサンドル・ジロティに献呈されている

wikiより引用

「ぞっと」するほど嫌っていたのはなぜでしょうかね。ネット上の受け売りですが、「とりとめもなく茫漠とした」作品の出来ががまんできなかったのでしょうか。すると、改訂はカット編集して、コンパクトにしたのではないかと想像できます。原典版の録音もあるようです(Alexander Ghindin(Pf) Vladimir Ashkenazy(Cond) Helsinki Philharmonic Orchestra)。でもまあ、比較試聴まではしないかなあ。

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アシュケナージ(Pf) プレヴィン(指揮)で

第1楽章は、ホルンや木管のファンファーレのあと、衝撃的にピアノが登場してきます。グリーグやシューマンの協奏曲の冒頭を思い起こさせます。その後は、シンフォニックさとピアにズムの共演の中に、ロマンチックな旋律があふれる、まさにラフマニノフらしい曲調です。

本作の大改訂が行われたのが、1917年でロシアの10月革命のさなかでした。すでに大名曲の2番と3番の協奏曲も描き上げた後です。ラフマニノフらしさが横溢しているのもうなずけます。すでに学生時代の卒業作品としての原典版とはかなり違うものになっているのでしょう。

第2楽章も美しく、第3楽章はシンフォニックで、その中に繊細なピアノの装飾がすばらしく輝いているように思えました。ただ、両楽章とも短く、特に2楽章はもっと聴いていたい感覚にとらわれます。第1楽章が長めなので、全体的にみると頭でっかち感はいなめません。その点、2番の協奏曲は各楽章11分ほどの均等で、バランスも名曲の要素の一つになっているとも思えます。

アシュケナージのピアノはこの曲の繊細さとダイナミズムを十分に表現しておりさすがです。プレヴィンとロンドン響のバックもすばらしい一体感でなんの瑕疵も感じられません。アシュケナージはハイティンク・コンセルトヘボウと2度目の全集を録音しています。これも聴いてみたいですね。

ラフマニノフについて①

ラフマニノフの生涯について、すこしずつ記してみたく思います。

1873年4月1日に、裕福な貴族の家系の父母の第3子として生まれます。当時はまだロシア帝国の時代です。彼が生まれた頃には、家はかなり没落しその後破産してしまいます。9歳のときでした。しかし、音楽の才能を認められ、奨学金を得てペテルブルグ音楽院の幼年クラスに入学します。

しかし、どうも素行が悪く、12歳の時にはすべての学科に落第してしまいます。そこで、モスクワ音楽院に転入し、ピアノの先生のニコライ・ズヴェーレフの家に寄宿しながらピアノを学ぶことになります。勉強せず遊んでばかりいたということでしょうかね。

ズヴェーエフ先生は厳格な指導の人で、彼のもとラフマニノフはピアノ演奏の基礎を徹底的にたたき込まれます。ズヴェーエフの家には、著名な音楽家が多く尋ねてきて、中でもチャイコフスキーにラフマニノフはその才能を認められたようです。

ラフマニノフの方もチャイコフスキーを尊敬していて、マンフレッド交響曲の2台のピアノに編曲したり、「眠りの森の美女」のピアノ編曲をしています。後者は出来が悪くて、チャイコフスキーをおこらせたそうですが。チャイコフスキーが亡くなったときには、その悲しみを「悲しみの三重奏曲第2番」というピアノトリオで表しています。そういえばチャイコフスキーも過去に偉大な音楽家の死を悼んで、ピアノトリオを作曲していますので、それにならったのでしょうか。(つづく)

samon
samon

今年はじっくりラフマニノフを聴いていこうと思います。音楽が前衛的なものに進む中、当時どんなに無視されようと、チャイコフスキー的な美しさを追求するラフマニノフ。自分らしさを貫く姿勢に感動するし、なんたってその音楽は、この上なく美しいく素晴らしいんだもの。

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