「壬生義士伝」浅田次郎著 読了しました。ながやす巧氏の劇画より先に最後までいきました。劇画が小説を補完し、よりイメージ豊かに読めました。

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samon
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ながやす巧先生の劇画で、はまってしまった「壬生義士伝」。我慢できず、原作を読んでしまいました。劇画はほぼ原作を忠実に描いていますね。最後は、ああそうなるのかと納得のエンディング。早くながやす巧先生の続刊がでないかな。待ち遠しさは逆につのってしまいました。

小説「壬生義士伝」

浅田次郎の原作本は、図書館の開架になく、書庫から持ってきてもらいました。多くの人に読まれたであろう事が、この文庫本を見るとよくわかります。それにしても、小説は上下2巻で完結するのか・・・。

ながやす巧先生の劇画は現在第11巻まで発売されています。第1巻の発売が2010年7月ですから、もう10年以上も書き続けられているのですね。画で表現することの大変さをひしと感じます。漫画家という職業は、まさに身を切るような作業の連続なのでしょう。

小説「壬生義士伝」を読むに際して、すでの劇画の世界が頭に入っている私には、小説を読み進めるのがとても楽に感じました。ながやす先生は、原作にほぼ忠実に、その順番通りに描き進めていますので、小説の中身が劇画のイメージを伴ってどんどん私の中に入ってきます。

劇画も小説も、主人公吉村貫一郎の大阪の南部藩倉屋敷の一室での回想と吉村にゆかりのある自分たちの語りとが交互に出てきます。小説を読みながらも劇画が一体となって想起されるのが心地いいですね。

終章(ネタバレ注意)

劇画第11巻では、とうとう吉村貫一郎が切腹して最期を迎えてしまいます。

小説ではこのあとどう続くのでしょうか。

最初のインタビューの相手、角屋の店主が再度登場します。店主は、予想通りに吉村貫一郎の長男吉村嘉一郎のことを語ります。嘉一郎は秋田戦争に出陣し、そこで討ち死にしようと考えていましたが果たせず、箱館戦争に参加します。箱館戦争での嘉一郎の最期が語られます。

嘉一郎の母親への連綿たる最期の手紙には、涙腺決壊必至です。

そして小説の終わりにはもう一人の登場人物が語り始めます。貫一郎が顔すらもしらない次男坊です。彼は、越後の豪農に引き取られ、米の品種改良を研究し、東京帝国大学教授までに成長しています。前年に大学を退官し、故郷盛岡の高等農林学校に迎えられることになります。

彼が、赴任のために故郷の南部盛岡にたどり着く列車内が、最後のインタビュー場所となっています。徐々に故郷に近づき、小説内で貫一郎が何度も自慢する故郷の風景が広がる絵画的描写で小説は締めくくられます。

「さあ、盛岡に着きました。これが北上川ですね。ずいぶん長い旅でしたが、ようやく生まれ故郷に帰って参りました。
 夕映えの岩手山(おやま)、南には早池峰。北には姫神山。北上川と中津川の合流する先に、不来方の城跡も望めます。
 ああ何と美しい町でしょう」

「おうい、今帰(けえ)ったぞ。南部の風じゃ。南部の風じゃ。
 胸いっぺえに吸うてみるべさ。
 力いっぺえに。胸いっぺえに。
 ああ、何たるうめえ風にてごあんすか。
 ああ、何たるうめえ風にてごあんすかー。」

故郷にもどった貫一郎の次男坊の名前は、父からもらい受けた「吉村貫一郎」です。この最後の言葉は、父吉村貫一郎が故郷の盛岡に戻ったようにも思えて、涙は止まりません。

候文

終わりの終わりに、長文の候文が並びます。一瞬「読めるのか?」とひるみますが、読みすすめてみると大丈夫、十分に意が伝わります。この手紙は、大野次郎右衛門が越後の豪農にあてたものです。「この次男坊を頼む」という趣旨の手紙です。

手紙の中に出てくるのは、父吉村貫一郎の姿です。繰り返し出てくる文が次のもの。

「此者之父者(は)
 誠之南部武士ニテ御座候
 義士二御座候」

この候文を置くことによって、小説「壬生義士伝」は吉村貫一郎と大野次郎右衛門の友情の物語であったことが、明確に立ち上ってくるのです。

samon
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ながやす巧先生は、嘉一郎の最期をどう描いていくのでしょうか。そして、最後の大野次郎右衛門の「候文」をどのように表現するのでしょうか。もう楽しみで仕様がありません。小説が素晴らしいのは言うまでもありませんが、私は劇画からスタートしたので、浅田次郎先生とながやす巧先生の強力な二人の表現者の力を合わせた芸術としてとらえてしまいます。さあ、12巻どうなるのかなあ。皆様、小説・劇画ともどもどうぞお楽しみください。超オススメです。

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