「壬生義士伝」第11巻 中間-佐助が見た、大野次郎右衛門と吉村貫一郎の友情。感涙必至

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漫画「壬生義士伝」最新巻第11巻読了しました。

samon
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浅田次郎原作、ながやす巧先生の漫画による「壬生義士伝」。1巻から10巻まで一気に読んでしまい、涙することしばし。最新巻11巻が出ましたので、さっそく読みました。これまで以上に涙腺は緩み、話すすすりながらの読了となりました。超オススメの逸品です。

主人公吉村貫一郎が、大阪の南部藩倉屋敷の一室で、まさの腹切りをする直前の彼の様々な思いや回想と、時代が進んで明治や大正に入ってからの関係者の回想のふたつが交互に描かれていく漫画「壬生義士伝」。

これまでの巻から、このあと吉村がこの部屋で果てるのはわかっているのですが、その決定的なシーンはまだ描かれていません。それが、この11巻にてついに描かれるのです。衝撃のシーンでした。このシーンは、吉村に腹切りを命じた大野次郎右衛門の中間である佐助の回想によって語られます。

中間-佐助

まず、中間(ちゅうげん)、「ちゅうかん」じゃないですよ。この職業とは何でしょうか。中間とは武家奉公人のことです。

武家奉公人(ぶけほうこうにん)とは、文字通り武家奉公する者を言う。江戸時代以前では主家に仕える(奉公する)武士も含めて単に奉公人と呼んだ。江戸時代以降はもっぱら非武士身分の中間小者を指した。
中間(ちゅうげん):脇差1つを挿し、時には戦いにも参加し、平時は雑用を行った。渡り中間に代表されるように、一時限りの奉公の場合が多い。

wikiより引用

佐助は武士ではありません。だから、大野次郎右衛門に奉公しているときには姓がありません。大正時代になって佐助は任侠の道に入り、今は主人の「大野」を姓にして、大野佐助と名乗っています。

佐助はこう言います。

「私の本来のお役目は馬口取りなんですけど、他に人がいねえんだから何でも屋でござんす。どこに行くにもお供は私一人で十分てえわけです」

馬口取りとは、侍の乗る馬の口の部分の綱を取ってあやつる仕事でしょう。上位の武士は、そのほかにも荷物持ちや槍持ちなど、多くの供をつれて移動します。

侍の中でも上位の大野次郎右衛門ですが、藩の台所事情により、多くの供をつけるわけにもいかず、この佐助一人がいつも大野次郎右衛門についていたわけです。ゆえに、大野次郎右衛門と吉村貫一郎の関係をすべて近くで聞いて知っていたのです。

大野次郎右衛門

その佐助が語る話からは、大野次郎右衛門と吉村貫一郎の強い強い友情の絆が浮かび上がってきます。

第1巻では、鳥羽伏見の戦いから傷つきながら逃れてきた吉村貫一郎に対し、大野次郎右衛門は厳しい態度を取ります。

脱藩し、新選組で多くの人を斬ってきた吉村を「この壬生狼(のぶろ)め」と叱責し、「腹を切れ」と言い渡します。なぜ親友である次郎右衛門はそのような態度を取ったのか。本巻にて納得させられます。

本巻では、この場面の次郎右衛門を佐助の視線、すなわち横から描いています。次郎右衛門の横顔は、震えそして汗を垂らしています。

第1巻で冷酷にも切腹を迫る次郎右衛門に読者は反感を覚えます。私はそうでした。しかし、ここの佐助の視点からの次郎右衛門の表現は、この後に開陳されていく次郎右衛門と貫一郎の友情のドラマの、気づきにくい予兆の表現のような気がします。

samon
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そして、ついに本巻ではすさまじい吉村貫一郎の最期が描かれます。竹馬の友であったが、運命故に侍として別の道を進まざるを得ず、その身分は大きく違ったのに、二人の友情が熱くつながり合っていたことが描かれていきます。さらには、次郎右衛門の貫一郎の家族たちへの愛情も。第1巻で感じた次郎右衛門への反感は皆無となります。いわば、本巻は大野次郎右衛門の物語と言ってもいいかもしれません。にぎりめしのシーンは感涙必至でしょう。ぜひ皆様もこの感動を味わってください。超オススメの「壬生義士伝」第11巻でした。

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