藤沢周平 著「たそがれ清兵衛」読了しました。
映画化もされた表題作のほか、さまざまな癖のある侍たちの生き様と剣技が生き生きと描かれます。次々に読みたくなる藤沢周平作品の最初のとっかかりにもの最適な一冊だと思います。大オススメの作品です。
隠し剣シリーズでは、「秘剣」を軸にものがたりが描かれていきますが、本作ではある「癖」ゆえに、他の侍たちから侮られてしまうそんな侍たちが登場します。次の8人です。
たそがれ清兵衛
うらなり与右衛門
ごますり甚内
ど忘れ万六
だんまり弥助
かが泣き半平
日和見与次郎
祝い人助六
「たそがれ」は、勤務終了になると、さっさと帰ってしまう付き合いの悪さからついたあだ名。
「うらなり」はその容貌からくるもの。
「色青白く細長い顔をしめくくって、ご丁寧にあごのところがちょいとしゃくれている。」
そのうらなりへちまのような顔からきています。
「かが泣き」はあまり聞きませんね。これは、その地方独特の国言葉で「わずかな苦痛をおおげさに言い立てて、周囲に訴えたりすることを指す。」と冒頭に記されます。弱音を大げさに口に出して言う男というわけ。ばかにされそうですね。
最後はもっと聞きませんね。読み方もわかりません。「祝い人」は「ほいと」と読みます。感じだけ見ると何かいいことのようですが。違います。
「『祝い人』は物乞いのことだ。しかし伊部助八が(中略)物乞いをして回ったわけではなく、もっぱら身なりのきたなさが原因である。」「時どきからだそのものが悪臭を放っている」
これは嫌われそうですね。
作劇パターン
このような様々な独特の癖をもつ侍たちを主人公にするのですが、その物語作りにはある種のパターンがあるように思われます。
「癖」→「侍たちに侮られる」→「しかし、一流の剣技の持ち主」→「様々な相手との対決」
おおざっぱには上のような流れです。対決は、藩の政争に巻き込まれることが多いようです。
これに、美しい女性が絡んでくるところがいいんです。藤沢文学では魅力的な女性が、物語を彩り、ぐんと娯楽性を高めています。そして、主人公とその女性との関係が、「愛の物語」にもなっているのです。
このように一つのパターンで作劇されることで、読む者はある種の統一感の中で安心して物語に没頭できるのです。
8の侍たちの中で、お気に入りの話を見ていきましょう。
ごますり甚内
川波甚内には、武士にあるまじき芳しくない評判がある。あれはへつらい者だとか、ごますり男だとか人が言う。そして、それは事実だった。
文庫版P87
白い歯を見せて大きな声であいさつをし、相手が何か持ち物をしていれば、それを持ってやるなど、ごますりの見本のようなことをするのが甚内です。
むろん、この度を過ぎたようなごますりには訳があります。それは、侍の世界の身分でもある、家の石高に関連してくるものです。
このごますり男も、実は一級の武芸者なのです。それを示すエピソードが書かれます。
登城の際に甚内は、大きな荷物をかかえる上役に出会います。例によって甚内はその荷物を持ってやろうとするのですが、上役は「いや、これはちと重い」と断ります。しかし、無理にその風呂敷包みをつかみ取ると、そのあまりの重さに腰はくだけ顔を真っ赤に染めます。
その荷物は何と「火鉢」だったのです。重いはずです。しかし、その後「息を整え、腰を決めるとあとは何事もなかったかのように歩き出」すのです。顔色も平常にもどっています。
それを見ていた数名が、火鉢を試しにかかえてみたところ、数歩しか歩けなかったのです。
「甚内の一見貧弱な体軀には、剣で鍛えためざましい体力がそなわっていたのである。」
映像が目に浮かぶようなシーンと思いませんか?人に侮られるようなごますり男が実はものすごい武芸者であることを、少しユーモラスな中に描き出した場面と思います。
甚内は家の石高を上げるために、藩の政争の中に巻き込まれていきます。甚内の必死の働きは、当時の武士の身分差のいかんともしがたい現実を浮かび上がらせもします。
「士農工商」の身分差別は小学校で習ったのですが、「士」の中にも実は明確な身分の違いがあったのです。このことは、漫画「壬生義士伝」でも強烈に感じたことでした。
かが泣き半平
美しい魅力的な女性が出てくることが藤沢剣豪小説の醍醐味と前に書きました。この「かが泣き半平」では、見た目の美しさに加えて、触覚的な快楽が描かれるのが特筆すべき事です。
半平は藩の普請組(建設・修理等)で、河川の堤防修復に関わっています。工事の最中に事故で無くなった朝太の家族を訪ねます。そこで、朝太の女房と出会うのですが、その女房は以前にあることで侍にいじめられていたのを救ったことがある女だったのです。再開というわけです。
目の前にいる若い女が非常な美人であることに気がついていた。目がきれいで、口は形が良く小さい。どこか少女めいた面影を残す小柄な女だった。
文庫版P210
半平は、女と話をする中で、つい例の「かが泣き」をしてしまいます。「肩が凝るし、腰が痛む」と。すると女房は「少しお揉みしましょうか」と半平の後ろに回ります。半平は「こんなところを誰かに見られたらただではすまん」と震え上がりますが、女房は揉み始めます。
「死んだ亭主をよく揉んでやったものです。これでも肩揉みはうまいのですよ。」
同上P213
女房は半平の思惑など歯牙にもかけない様子で、さっそくに肩にかけた指に力をこめた。なるほどよく透る指である。凝ったところを探り当てるように押して来るのが、何とも言えず快かった。
結局そのまま女房に肩を揉んでもらってしまうわけです。それは、肩がほぐれる心地よさもありますが、美人の女房が、ふだん誰も相手にしてくれない自分の愚痴を正面から受け止めて、親身にいたわるそぶりを見せた事への感激があったからでした。
「たそがれ清兵衛」以外にも個性的な侍たちが繰り広げるさまざまな物語。読んでいて本当に引きこまれます。巻き込まれる藩の政争の中で、彼らの颯爽たる剣の技も光ります。そして、たくさんの魅力的な女性たち。藤沢文学にはまって、もう抜け出せません。さあ、あなたもこの沼にどうぞはまってください。大オススメの作品です。
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