ブライアン・デ・パルマ監督作品「アンタッチャブル」

Movie
スポンサーリンク

ショーン・コネリーが逝きました。彼とそして今年亡くなったエンニオ・モリコーネを偲んで、ブライアン・デ・パルマ監督作品「アンタッチャブル」(DVD)を観ました。半分だけのつもりが全部見せてしまう、それもこの映画の力である。その力の原動力がショーン・コネリーの渋く熱い演技とモリコーネの旋律だ。

デ・パルマ監督は大好きな影像派の監督だが、今回おもしろい映像テクニックに気がついた。それはカメラがとらえている近景(アップ)と遠景の両方にピントが合っているというもの。マローン(コネリー)とネスが語り合う場面で、右手ネスのアップ、左手少し離れてマローン。両方に焦点が合っている。もちろんこのふたり以外はぼけている。

普通は、しゃべっている方にピントが合い、これを交互に繰り返す。これはカメラが1台だからだ。両者にピントが合い続けていると言うことは、2台のカメラで撮影し、それを合成しているのではないかと思われる。人間の眼もカメラ同様に観ている中心にピントが合いその周囲はぼけるから、この場面を観ていて違和感を感じさせられるのだ。

同様の影像は、オペラ「道化師」を観賞するカポネのシーンでも使われる。左に「道化師」の主人公カニオの有名なアリア「衣装を着けろ」の熱唱のアップ。中央から左に書けてオペラ座の2階の個室席で観賞するカポネらの円形が映っている。その両方にピントが合っているのだ。

これらの特殊な映像の意味合いは、離れた両者をどちらも明確に観客に見せつつ、何となくの据わりの悪さ、不自然さで我々を映像に引き込む狙いがあるのかも知れない。そこがそれ、デ・パルマの境地だ。ゆえにこの監督の作品は賛否が分かれる。アンタッチャブルのようなメジャーな作品においても、そういうことを入れずにはいられない、デ・パルマのこだわりではないだろうか。

コネリーさん、モリコーネさんご冥福をお祈りします。

コメント

タイトルとURLをコピーしました