生誕150年ラフマニノフを聴く② ピアノソナタ第2番 幻想的小品集 アメリカ時代に作曲者が愛用したピアノでの演奏 イリーナ・メジューエワのライブで  

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samon
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お気に入りの番組、NHK-BS早朝の「クラシック倶楽部」でのライブ演奏で聴きました。番組はピアノが演奏会場に運び込まれるシーンから始まります。アメリカの倉庫で朽ちていたものを、日本の調律師が1年かけて復活させたそうです。鍵盤の先の黒い板部分には、多数の傷跡が。ラフマニノフの指が当たった傷なのです。京都在住のロシアのピアニスト、イリーナ・メジューエワがこのピアノで演奏します。

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結論

  • ラフマニノフが使用していた楽器を使っての端正で見事な演奏だった。
  • 改訂して常により良きものを求めるラフマニノフの完全芸術家としての心意気を感じる。
  • 改訂が必ずしも成功しないという難しさもあるんだなあ。
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幻想的小曲集

1892年作曲で「作品3」がつく初期のピアノ独奏作品集です。5曲の短い曲からなります。圧倒的に有名でよく演奏されるのが、第2曲の「前奏曲」です。悲劇的な鐘の強打ではじまりますが、とても心に食い込む旋律です。ラフマニノフは「鐘」には執着を感じます。第2番の協奏曲の冒頭もそうだし、「鐘」というタイトルの曲もありますね。

3曲目の「メロディ」もすてきです。この曲は1940年に改変され、より完成度を高めています。冒頭の左手の旋律はチェロのように優しく流れます。

自分の作品を改変してよりよくしようとする姿勢は素晴らしいですね。前回紹介したピアノ協奏曲第1番も徹底的に書き換えられていましたね。第5曲の「セレナード」も書き換えが行われた曲です。少し浮かれた感じのスペイン風の旋律は私は大好きですね。

メジューエワの演奏に関しては、画面テロップで「原典版を加味した改訂版での演奏」というような説明がありました。演奏者にはそのような自由が許されているんですね。単に楽譜に忠実にというだけではないんですね。これはひとつの発見でした。青柳いずみこさんの「どこまでがドビュッシー?」という書籍を思い出しました。

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ピアノソナタ第2番

1913年作曲。作品36がつけられています。この年イタリアに旅していましたが、ローマで娘さんが病気となり、名医を求めてドイツのドレスデンに赴いた際に着想されま、ロシアに戻って完成しています。国内で彼自身この曲の演奏を続けますが、評判は今ひとつで、1931年に改訂版を出します。

ところが、この改訂版に対し友人のピアニストであるホロヴィッツは意義を唱え、初版と改訂版を折衷した「ホロヴィッツ版」を好んで演奏したようです。メジューエワもホロヴィッツ同様に、初版と改訂版を組み合わせた演奏を行っているようです。

初版版は冗長であり、改訂版は物足らないと言われているようです。よりよきものを求めるラフマニノフの姿勢は素晴らしいわけですが、改訂が必ずしも成功しないという面もあるんですね。

いずれの版にせよ、求められる技巧や手の大きさなどから、大変な難曲で、メジューエワは番組のインタビューの中で自分の手のひらを開いて、「弾きにくい部分がある」と言っていました。ラフマニノフは指が異様に長かったようで、彼には容易でも常人には難しい音の配置があるのでしょう。

その長い指故に、彼が使用したピアノの鍵盤の先に多数の傷が残っているというわけです。

その傷だらけのピアノを使って弾くメジューエワの演奏はとても端正で美しいものです。1楽章冒頭のなだれ落ちるような音楽の開始からとても魅力的です。「鐘」大好きなラフマニノフらしく、この曲の中でも鐘が鳴り響いているのも分かりますね。

演奏終了後、観客の拍手の中、メジューエワ自身がピアノに拍手する場面がありました。「ラフマニノフのタッチを覚えている楽器が、演奏を助けてくれる」というようなこともインタビューでの述べていましたので、それが実際に彼女に感じられたのでしょう。とてもよい演奏に結実したと思います。

イリーナ・メジューエワ

旧ソ連ゴーリキー(現在のニジニ・ノヴゴロド)の出身[2]。5歳からピアノを始め、グネーシン音楽学校ヴラディミール・トロップに師事。1992年ロッテルダムで開催されたエドゥアルト・フリプセ国際ピアノ・コンクールで優勝。
以後、ヨーロッパ諸国で演奏活動を行うも、1997年日本コロムビアの当時の自身の録音担当プロデューサーと結婚してから日本の京都を本拠とし、アジア各国で精力的に演奏活動を繰り広げている。日本コロムビア、若林工房から作品を多数リリース。また2019年4月、新レーベル’BIJIN CLASSICAL’からも作品が発売される。ロックから20世紀音楽までの広いレパートリーを持つが、ロシアの作曲家、ニコライ・メトネルをレパートリーの中心としてよく取り上げている。

wikiより引用

日本人と結婚してからの京都在住なのですね。京都芸術大学の専任講師でもあります。この音大を出た友人がいるので、今度話を聞いてみようと思います。授業を受けたかも。

今回のNHKの放送での曲目は、2023年1月にリリースした「ラフマニノフ作品集」の中のものと重なります。アルバムツアーの一環だったかも知れません。

ラフマニノフについて②

あれほど素行の悪かったラフマニノフですが、モスクワ音楽院では和声や対位法、正教会聖歌等を学びます。前の失敗から学んだのでしょうか。人生失敗しても、そこから学んでやり直せばいいんですよね。ちなみに、同級生にはスクリャービンがいました。

彼が寄宿しているズヴェーレフ先生は厳格で、ピアノ以外のことに興味を持つことを禁じていました。しかし、作曲への衝動を抑えきれなかったラフマニノフはやがて師と対立し、ズヴェーレフ邸を出ることになります。創作への燃える思いは消すことはできなかったのですね。このとき先生の言うとおりにしていたら、ラフマニノフはピアニストとして終わっていたかも知れません。行動して正解でしたね。

1891年、18歳でモスクワ音楽院ピアノ科を大金メダルを得て卒業します。金メダルは通例、首席卒業生に与えられますが、当時双璧をなしていたラフマニノフとスクリャービンは、どちらも飛び抜けて優秀であったことから、金メダルをそれぞれ首席、次席としいましたいました(スクリャービンは小金メダル)。同年卒業作品として、前回紹介したピアノ協奏曲第1番作品1を完成さました。音楽の道に邁進していたのですね。

samon
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改訂を繰り返すラフマニノフの芸術家魂を感じることができてよかったです。しかし、改訂の要因が人々の評判であるところは気になりますねえ。気むずかし屋あるいは小心者?今後の彼の生涯により興味がわいてきます。もっともっとラフマニノフ聴いていきますよ。次回をお楽しみに。

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