大林宣彦監督作品「時をかける少女」の最後の20分ほど、いわゆる戻ってきた「土曜日の実験室」からエンディングまでを観ました。全ての真相を聞かされる和子だが、記憶は消されてしまう。場面が変わって、小さかった妹が高校生となり、割れた姿見で髪をとかしている。10年近くが経過していることが知らされる。ボブでお化粧をうっすらした和子は、朝食も取らず卒業後も残ることを決めた薬学大学へ向かう。途中、深町の祖父母にあいさつする。その後、入江たか子と上原謙の会話と顔のアップが長く映される。「ずっとふたりっきりですかねえ」悲しくとても印象的だ。大学で吾郎からのデートの誘いの電話が来るが、和子はやんわりと断る。「必ずまた会える」といった深町の言葉は、記憶を消されても、彼女の中に残りくすぶり続けているのか。大学の廊下で和子は深町と再会するが、もちろん和子は気がつかない。深町も記憶を消されているのだろう。被写界深度のマジックで、深町はあっというまに遠くへ去ってしまう。家族を失った「ふたりっきり」の老夫婦の哀しみとふたりにすらなれない和子や吾郎、そして深町の深い孤独が印象づけられて映画は幕を閉じる。「ああ名作やなあ」思わず声が出てしまう。しかしその哀しみは、その後の天使のようにかわいい原田知世の歌う「時をかける少女」のエンドタイトルで、一気に観るものは笑顔にさせられ、さわやかに映画を見終わるのである。良くできています。
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