川口 葉子著「喫茶人かく語りき 言葉で旅する喫茶店」を読了しました。
この本は、見開き2ページに、右ページに喫茶店(カフェ)の店主の短い言葉や文章を載せ、左ページに著者によるその店の紹介をするという構成の本になっています。左ページには、小さいながらもカラーの写真が3葉あり、店の様子もほのかに分かるようになっているのです。
左ページ上部には、その店のデータ(住所・電話・URL等)もあります。しかし、いわゆるカタログ的な店舗紹介の書籍ではありません。右ページの店主の言葉たちは、どれも格調高く、あるいはこだわりに満ちており、自分の仕事への誇りを感じさせてくれます。
珈琲店は決して店主のものではない。
珈琲店はそこに来る一人一人のものだ。
一人一人の何かが充満する場所だ。
人の思いは計り知れない。
立ち入ろうとしてできるものではないし、
わかろうとしてわかりうるものでもない。
そういうものが密集している。
大坊勝次「大坊珈琲店」店主
単なる店舗紹介本でない証拠に、上の「大坊珈琲店」はすでに閉店した店舗です。このような閉店した店舗のご主人の言葉たちまで取り上げてあるのです。
大坊氏の言葉からは、珈琲店主の心構えを学ぶことができます。くつろぎの空間をこそ作ること。その空間に、来店する人一人一人の大げさに言えば「人生」が充満してくるということです。
第5章最終章は、「書物の中の珈琲空間」と題して、作家やコーヒー探求者の名著の中から、「カフェやコーヒーの楽しみ方」にインスピレーションを与えてくれる文章が集められています。
この35年(のコーヒー探求)で学んだことは、「手の中にこそ真実がある」「小さいほど感動を生むことができる」そして「繰り返すこと」でした。それにはネルドリップで「滴一滴」とお湯を落とすように、一つ一つのことは一期一会と知り、大切に向き合うということです。J.Sバッハが神にも祈る思いで音符をおいたように、モノゴトに精進するという条件がつきます。
森光宗男「モカに始まり」2012年 手の間文庫
森光さんは、福岡の「珈琲 美美(びみ)」の店主で、モカコーヒーのスパイシーさに魅せられ、良質の豆を求めて世界を駆け回った、コーヒーの探求者です。
森光さんの言葉からは、1杯のコーヒーを入れることの厳しさが伝わります。それを、バッハが音楽を神に捧げるように作り上げたことに例えているのが共感できます。コーヒーを入れることがもはや芸術の域のようにも感じられ、引き締まる気持ちがします。
なにか厳しいなあ、格調高すぎだなあと思わないでください。この本には次のようなすてきな詩も掲げられています。
食卓に珈琲の匂い流れ
ふとつぶやいたひとりごと
あら
映画の台詞だったかしら
何かの一行だったかしら
それとも私の体の奥底から立ちのぼがった溜息でしたか
豆から挽き立てのキリマンジャロ
今さらながらにふりかえる
米も煙草も配給の
住まいは農家の納屋の二階 下では鶏がさわいでいた
さながら難民のようだった新婚時代
インスタントのネスカフェをのんだのはいつだったか
みんな貧しくて
それなのに
シンポジウムだサークルだと湧きたっていた
やっと珈琲らしい珈琲が飲める時代
一滴一滴したたりおちる液体の香り
静かな
日曜日の朝
食卓に珈琲の匂い流れ・・・
とつぶやいてみたい人々は
世界中で
さらにさらに増え続ける
茨木のり子「永遠の詩02」2009年 小学館
この詩の中には、過去のそして現在さらには未来の珈琲礼賛がつまっています。コーヒーと言えばインスタントでしたよね。ネスカフェでした。若い頃、コーヒー片手に友人と議論した熱気が思い出されます。そして、いま豆から挽いたおいしいコーヒーを飲めるようになった幸せを感じます。コーヒー文化の未来もきっと明るいでしょう。
村上春樹の肩の力を抜いたこんな文章もいかが?
冬のオーストリアとかドイツとかで飲むラム入りコーヒーはすごくおいしい。なにしろあの辺は東京なんかに比べると、圧倒的に底冷えするから、ダウンジャケットに手袋にマフラーと完全装備でたちむかっても、もうすぐに「うー、さぶさぶ」という感じになってカフェにとびこんで温かいものを飲みたくなってしまう。カフェのガラスというのはだいた暖房のせいで白くくもっていて、外から見ると本当に暖かくて居心地良さそうに見えてしまうのである。そういうところにとびこんで注文するのはやはり「ラム入りコーヒー」がいちばんである。ドイツ語ではたしか「カフェ・ミット・ルム」だったと思うけれど、間違っていたらすみません。
村上春樹「ラム入りコーヒーとおでん」『村上朝日堂の逆襲』1986年 新潮社
いいですねえ。漢字が少ない。小学生にも読めますね。このやさしさは、カフェの暖かさを増してくれるようです。「ラム入りコーヒー」飲んでみたくなりませんか?
滋味たっぷり。しかもすっと読めて、珈琲人の矜恃も感じられて、珈琲礼賛の文章にとても癒やされます。もちろんすぐにコーヒーが飲みたくなりますね。素晴らしい一冊。大おすすめです。
コメント