山田洋次監督作品「男はつらいよ 寅次郎恋やつれ」

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山田洋次監督作品「男はつらいよ 寅次郎恋やつれ」を観ました。シリーズ第13作となります。

今回寅が恋するのは二人の女性です。島根県温泉津で出会った絹代(高田敏江)とマドンナ中のマドンナ歌子(吉永小百合)です。冒頭と映画の終わりに高田敏江が登場し、その間に吉永小百合が出る、豪華なサンドイッチ構造です。むろん中心は吉永小百合です。

絹代と結婚することになりそうだと、浮かれて「とらや」に戻った寅ですが、行方不明だった絹代の主人が見つかり、あっさり結婚話はおじゃんになります。失意の寅は、立ち寄った島根県津和野で偶然にも2年ぶりに歌子(吉永小百合)と出会います。歌子の夫は亡くなっており、姑や小姑のいるいる津和野を出て、再び東京で自立した新しい生活をしようと、「とらや」を尋ねてきます。

samon
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それにしても、この作品での吉永小百合は、健康的で輝くばかりに美しいです。当時の流行か、ミニスカートで、膝上のスカートからのぞく御御足はホッソリととても美しく、スタイル抜群です。美しい笑顔の間に時折見せる憂いの表情もとても魅力的です。

さて、今作で最も感動的だったのが、歌子の頑固な小説家の父親が、寅の説教でとらやに出向いてきて、歌子にわびるシーンです。親娘の和解が描かれています。「娘は私に似て頑固ですから」と父親はさくらに言います。そうなんです。なぜ親子が衝突するのか。それは似ている性分であるが故と言うのも真実ではないかと思うのです。

その世の中によくある親子の断絶。これは和解できずにずるずると進んでいくことも多いでしょう。今作ではその親子の和解するシーンで、とらやの皆が思わずもらい泣きしてしまいます。私たち観客は親子の和解にも感激しますが、それ以上にこのとらやのみんなの姿を観て感動するのです。いわば他人のことに、こうも心を寄せていくことができるんだ。人間って素晴らしい!と思わせてくれる名シーンなのです。

寅はこの場面で、とらやの入り口に立って、外を向いています。その存在が、これまで消えていたように。そして、寅のアップにカットが変わります。顔を伏せた寅は、実は一番涙しているのです。観客はこれに追い打ちをかけられたように深く心打たれます。

しかし、この素晴らしい親子の和解は、その先に寅と歌子の別れをもちろん含んでいるのです。喜びのそのすぐ裏には哀しみが控えているのです。喜劇と悲劇が表裏一体にある。これが、「男はつらいよ」シリーズの根幹にあります。

シリーズ第1作の宣伝用のパンフレットの監督山田洋次の文章を、少し長いですが引用します。

「悲しい出来事を涙ながらに訴えるのは易しい。また、悲しいことを生真面目な顔で物語るのもそう難しいことではない。しかし、悲しいことを笑いながら語るのはとても困難なことである。だが、住み辛い世の中にあっては、笑いの話の形を借りてしか伝えられない真実というものがある。この作品は、男の辛さを、男が男らしく生きることがこの世にあっては如何に悲劇的な結末をたどらざるを得ないか、ということを笑いながら物語ろうとするものである」

山田洋次「喜劇に意味について」より
samon
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げらげら笑わせながら、その裏に真実を描いていく。それが山田洋次監督の意図だったのですね。真実があるからこそ、そうだそうだと私たちは共感をするのでしょうね。本当に素晴らしい映画シリーズだと思います。

さて、悲劇は今回も寅を襲います。自立を決めた歌子は、淡路島の障害児施設に行ってしまいます。残された寅はしばし草に寝転んだまま呆然と過ごしますが、再び旅に出かけます。映画は最後に、今は幸せそうな冒頭に出てきた絹代の家族と寅の出会いを描きます。寅に再会した絹代も笑顔でむかえます。寅も幸せそうな絹代の姿を本当に嬉しそうに、大きく手を振って近づいていきます。

このシリーズは、寅の悲劇を描きながら、最後のエピローグではいつも明るく爽やかに幕を閉じてくれます。これも、私たち観客に愛された理由でもあるのでしょう。

毎週土曜日BSテレ東にて、18:30から4Kレストアされた、実に美しい画像で放映中です。ぜひ、みなさんご覧ください。大おすすめです。

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