多分に麻薬性のある劇画です。初めは眼をそむけそうな激烈な描写が、そのうち自ら求めていくようになり、巻数を重ねてしまいます。
結論
劇画における残酷描写、緻密な肉体描写、そしてすさまじいアクション描写に驚き溺れること必至。
読むべし。
あらすじ
寛永6年9月24日、駿府城内で御前試合が行われることとなった。御前試合は、慣例として木剣を使用することになっているが、周囲が諌めたにもかかわらず、駿河大納言・徳川忠長の命により、今回は真剣を用いることが決定され、剣士達による凄惨な殺し合いが幕を開ける。その第一試合、隻腕の剣士・藤木源之助の前に現れた相手は、盲目・跛足の剣士、伊良子清玄だった。まともな試合ができるかどうか危ぶむ周囲の心配をよそに、伊良子は奇妙な構えを取る。刀を杖のように地面に突き刺して足の指で挟み、体を横に大きくのけ反らせるように捻るという構えに群衆が唖然とする中、対する藤木はまったく動じることなく刀を抜き放ち大きく構える。両剣士には浅からぬ因縁があった。
wikiより引用
この二人の因縁を遡るような構成となっています。原作の第1話「無明逆流れ」を中心としながら、作画の山口貴由の奔放な脚色がなされ、もはや別物に近い作品となっています。
作画表現
最も特徴的な表現が、内臓表現でしょう。刀で切られたときにはらわたが飛び出す表現です。特に腸は多く描かれます。悪夢のように忘れられないのは、岩本家と清玄の敵討ちの場面です。多くの上役そして町人らの見守る中で行われる敵討ち。これほど凄惨を極める敵討ち場面は観たことがありません。
清玄を助ける虚無僧姿の多くの武士達を、岩本側の牛股権左衛門(うしまた ごんざえもん)が二本の巨大な木片でぶっつぶしていきます。地面は破壊された人体、頭部、腕、足、そして「はらわた」で埋め尽くされます。
さらに牛股と清玄の対決では、巨大木片で牛股が地面を打ち付けると、散乱していた人体パーツが空中に浮かび上がるという恐ろしい状況となります。腸が空中を浮遊し、虚無僧の頭部が清玄の顔にぶつかります。あまりの状況に観衆の表情は死者のようにうつろになっていきます。私もこの観衆の一人になったかの如く目を背けそうになりますが、目が離せないのです。
清玄に左腕を落とされた主人公藤木源之助(ふじき げんのすけ)の左手の手術シーンもおぞましさの極限です。腕を縫い付けるのに飛び出した骨がじゃまであり、それをのこぎりで切る。そのすさまじさを直接的な表現(のこぎりと骨の間に浮かび上がる粒状のもの)で描ききります。
それに加えて、間接的な表現でさらに強固に補完するのです。それは、手術後の医師達の様子です。惚けたような医師。4人の補助医は苦しそうに倒れています。「ある者は鼻骨を折られ、ある者は肋骨にひびが」のナレーション。麻酔無しの外科手術の苦痛のため、あばれる藤木を抑える補助医師達がそのような姿になったのです。手練れの武士でさえ苦痛に暴れまくったわけです。苦痛のすさまじさをひしと読者に想像させるのです。
これらすさまじい作画表現は第10巻に詰まっています。第10巻には、このほかに盲目となった清玄といくの孤独な修行の様子を、一切の台詞を入れず描く章もあり圧巻です。必携本です。
山口貴由
東京都出身。高校卒業後、小池一夫主催「劇画村塾」の5期生として2年間在籍する。その劇画村塾の雑誌にデビュー作『NOTOUCH』を掲載。
デビュー作は「サイバー桃太郎」。代表作は「覚悟のススメ」「 シグルイ」など。主に秋田書店系列の雑誌で作品を連載する。
ネットより引用
デビュー前には小池一夫せンせいに師事している。
その師の教えを仰ぎ、「銀座の街を裸の女が駆けていくような」作品を描き続ける異色の漫画家である。
最新作は「劇光仮面」。あるユーチューバーが、「シン・仮面ライダー」の素人のレスリングのようなアクション描写に比して、「劇光仮面」のアクション表現を激賞していましたね。読んでみたい。
原作:南條範夫
東京都出身の経済学者・小説家。
『無明逆流れ』(1957年)に始まる諸短篇や、映画『武士道残酷物語』の原作となった『被虐の系譜』(1963年)、『残酷物語』(1959年)、『古城物語』(1961年)などで残酷もののブームを巻き起こし、また組織における人間疎外という視点から「マゲをのせた現代小説」とも呼ばれた。
wikiより引用
読んだことのなかった小説家です。図書館で検索したところ、たくさんの書籍がヒットします。さっそく、「シグルイ」原作の「駿河城御前試合」を予約しました。
もう止まらない「シグルイ」の麻薬的魅力にとりつかれた私は、現在第11巻を読んでいます。最終巻は15巻。のこりわずかです。じっくり楽しみたいと思います。超絶残酷アクションをぜひ皆様も体験してみてください。オススメ!
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