
月曜8:40の回でも総勢6名。全員男性。若い人もいました。
結論
何度観ても最高だが 劇場で観ることの恍惚は46年ぶりに当時そのままに蘇ってくる
概要・あらすじ
大型宇宙船の薄暗い閉鎖空間の中で、そこに入り込んだ得体の知れないもの(エイリアン)に乗組員たちが次々と襲われる恐怖を描いたSFホラーの古典であり、監督のリドリー・スコットや主演のシガニー・ウィーバーの出世作でもある。
外国人を意味する名詞「エイリアン(Alien)」が、「(攻撃的な)異星人」を意味する単語として広く定着するきっかけともなった[注 1]。公開時のキャッチコピーは「宇宙では、あなたの悲鳴は誰にも聞こえない。In space no one can hear you scream.
エイリアンのデザインは、シュルレアリスムの巨匠デザイナー[3]H・R・ギーガーが担当した。
wikiより引用
感想
劇場の優位性は大画面と音響です。冒頭ノストロモ号内部通路をカメラはなめていきますが、低音のエンジン音にまず驚きます。カメラ移動の中で映画前半でクルーがよく使っている白いプラスチックのマグカップがきれいに並べておいてあることにも今回初めて気がつきました。
眠っていたコクピットのモニターが突然動き出しますが、単にモニター画面を映すのでなく置いてあるヘルメットに反射した映像と交互に映す工夫があります。誰も人がいないのに、人が見ているような錯覚を起こさせます。エンジン音響く機械の塊の中に、確かに人が居ることを予感させる。
そして白い清潔そうなドアが開きハイパースリープの部屋へカメラが入っていく。クルー側からすればここでドアが開く必要はないわけです。観客がまさにノストロモ号内にいる錯覚を誘います。

ハイパースリープ施設は放射線状に配置され、空間を広く消費しています。エイリアン2のぎっちり平行に設置された施設と大きく異なる。本作の、上から見た場合の花びら状設置はとても美しくかつ機能的。

ケインがまず覚醒して何度もオーバーラップする画像で、クルーが立ち上がるまでかなり時間が必要なことが描かれます。スリープ個室きわに座り込む時間が長い。ゆえに隣の個室との間に空間があることは機能的といえると思います。
機関長で黒人のパーカーと機関士のブレットは宇宙船の下部で油にまみれ、給料やボーナスが他のクルーに比して少ないと不満を抱いています。無重力の宇宙では上下はない気がしますが、機関部へ「下りていく」という表現を使うことでクルーにも上下差があることを感じさせます。
船長のダラスがなぜ宇宙船が違う銀河に進路を変えたかをマザーに尋ねに行くとき、パーカーに一緒に来いと言いますが、「コーヒーくらいゆっくり飲ませろ」と断られる。明らかに下の人間であるパーカーをなぜ同行させようとするかは不思議です。結局ダラス一人で行くので、2人でマザー室にいくという厳格なルールもないようですし。
無重力といえば、エイリアンの黄色い強酸血液が宇宙船内を貫通せんとばかりに下へと落ちていくサスペンスシーンですが、何階層下までも重力措置がされているのは合理的なのかな?と思ってしまいます。船内の無重力状態と強酸血液の関係をうまく使ったのが「エイリアン ロムスル」のアイデアでした。重力があっても無くてもサスペンスにしてしまう。映画っておもしろいですね。
「血痕も無く、ダラスもいなかった」とパーカー。ダラスだけは連れ去られた。削除シーンの中にダラスが繭にされているのを観たことがあります。エイリアン2で大々的に展開される、人を繭としてエイリアンエッグから出た幼体が寄生するというエイリアンのライフスタイルはすでに本作からアイデアとしてあったわけです。

これが採用されていれば、エイリアン単体で産卵することができる形となります。エイリアン2のエイリアンクイーンにつながったかどうか怪しくなってくる。ブレット、ランバート、パーカーらがインナーマウス(口の中のもう一つの飛び出す口)によって惨殺される展開はシリーズ全体からしても正解だったと思います。
アッシュが正体を現すシーン、懐かしの「平凡パンチ」を丸めてリプリーの口に詰め込もうとするのは、本作の中にちりばめられたエロティックな場面の一つです。その後パーカーに首をへし折られてロボットであることがわかる場面衝撃でしたね。「アッシュはくそロボットだ」は高校生にもわかる英語でした。

1979年18歳の私は高校3年で、模試が終わって開放感の中で観た本作。あまりのおもしろさに2回続けて観たのでした。当時は入れ替えは無く、何度観ても可でした。
壊れたアッシュの配線をつないで尋問する部分では、完全に作り物の頭部からカットが変わって、イアン・ホルムの牛乳だらけの顔に変わるアナログ処理は今では微笑ましいですね。エイリアンを賛美するアッシュはCGではいけません。イアン・ホルムの生の演技が重要です。ここかつてはランバートが「賛美してる」と訳されてましたが、今回は違う表現になっていました。

さて本作の魅力であるエロティクシーンの一つが、脱出艇ナルキッソスでの安心したリプリーが汗まみれの服を脱いで下着姿になるところから、乗り込んでいたエイリアンに気づき、宇宙服に入っていく部分。下からあおるようなカメラで撮られ、足から宇宙服に入る際に胸がぐいと前に出てくるところが最高潮にエロティックですね。

ギーガーのデザインが女性器を模したエイリアン宇宙船に入り口であったり、エイリアンの頭部が屹立した男性器を表しているのはよく知られています。このようにエロティックさが本作の大きな魅力になっているのは間違いありません。
続編でこの部分は完全に無くなってしまっています。ニュートなどの子どもが加わってエロティックな大人の世界とは完全に違う方向に進みました。第1作はまさに大人の映画といえると思います。高校生の私が熱狂するのも当然のことですね。

46年ぶりに劇場で観る本作。やはり最高でした。映画は劇場で大画面大音響でを痛感しますね。
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