ロマン・ポランスキー監督作品「オフィサー・アンド・スパイ」迫真の法廷ドラマにフランスの史実を知る

Movie
スポンサーリンク
samon
samon

上映最終日に観に行けました。その日は1回だけの上映だったのでまさにぎりぎりでした。町山智浩氏や内田樹氏の推薦があったので楽しみに観ました。はたしてこの映画は。

あらすじ

19世紀のフランスで、ドイツに軍事機密を流したスパイであると疑いをかけられたユダヤ人の陸軍大尉ドレフュスは、終身刑を宣告された。しかし、対敵情報活動を率いるピカール中佐は、ドレフュスの無実を示す衝撃的な証拠を発見する。しかし、スキャンダルを恐れた国家権力によって証拠の捏造や、文書の改ざんといった隠蔽工作を図られてしまう。逆境に遭いながらもピカール中佐は、ドレフュスの無実を晴らすために奔走する。

ネットより引用

冒頭石畳の広場がロングで映され、遠くに軍隊の隊列が、軍靴の音を響かせながら上手から下手へ移動します。そして、「ドレフュス事件」の挿絵で有名な、軍刀をへし折られるシーンへと展開していきます。へし折られた軍刀やはぎ取られたボタンや赤い布が絵画的に映され、その上に原題の「J’accuse(私は弾劾する)」が浮き出てきます。

印象的なアバンタイトルで、映画の世界に引きずり込まれること間違いなしです。原題はこの冤罪事件を告発したエミール・ゾラの言葉ですね。重厚で強烈な言葉ですが、映画の題名としては堅苦しすぎたのでしょうか。「オフィサー・アンド・スパイ」という軽い感じのものになっています。これは英語題名も同じですね。スパイという言葉に大衆は惹かれてしまうのでしょうか。

ドレフュス事件

ユダヤ系軍人ドレヒュス大尉に対する冤罪事件。1894年ドレヒュスがドイツのスパイ容疑で終身刑を宣告されたが、96年に真犯人が判明した。その後、作家ゾラらの救援活動でドレヒュスは再審を勝ちとり、99年に恩赦され、1906年に無罪となった。この事件は内外に多大な影響をもたらし、国内では共和諸派が結集して急進社会党を結成し、カトリック教会に対する戦いを続け、政教分離が進んだ。国外では、キリスト教世界における反ユダヤ主義の根強さを認識したヘルツルによる、シオニズム運動開始のきっかけとなった。

ネットより引用

ポランスキー監督自身が、第二次大戦中はユダヤ人ゲットーに収容されたり、ユダヤ人狩りを避けてドイツ占領下のフランスを転々とするなど、ユダヤ人迫害を身をもって体験した人です。

彼が、今「ドレフュス事件」を映画化する意味については、インタビューで次のように答えています。

大事件を元にした優れた映画は多くありますが、ドレフュス事件は傑出した物語性があると思います。“冤罪をかけられた男”というのは話として魅力がありますし、反ユダヤの動きが活発化している現代にも通じる問題です。まだ若かった頃、エミール・ゾラの半生を描いたアメリカ映画でドレフュス大尉が失脚するシーンを見て、打ち震えました。その時、いつかこの忌まわしい事件を映画化すると自分に言い聞かせました。

以前から映画化を望んでいたことがわかります。「反ユダヤの動きが活発化している現代にも通じる」という一節が気になりますね。

ドレフュス事件について取り上げるというと、誰もが好意的な反応でした。しかし、実際にどんな事件なのか知っている人は、少ないことが分かってきました。実体が知られないままに、みんなが知っていると思ってしまっている歴史上の出来事のひとつです。

これは、今回の映画化に際しての周囲の反響について尋ねられた際の答えです。歴史上の出来事で、知っているようでよく知らないことを再現することはとても意味あることだと思います。

例えばNHK「鎌倉殿の13人」を観ると、鎌倉時代のありようが、自分の知っていることとずいぶん違っていて驚いてしまいます。

迫真の法廷サスペンス

2時間12分のこの作品ですが、前半は早口のセリフと少し暗い画面のため、何度か眠りに引きこまれました。しかし、後半の軍法会議のシーンの連続になると、目もぱっちりで、その迫真の法廷ドラマに引きこまれていきます。

軍法会議はそりゃもうぎちぎちに人が詰まっていて、熱気がこちらまで届くようです。真実を訴えるピカール側は、権力によって何度も負けてしまいます。TVのリーガルドラマのような大逆転はないのですが、時間をかけて真実が徐々にあぶり出されていく様は、実際の事件であることの重さを感じました。

映画の最後に、恩赦で軍役に戻ったドレフュスが、ピカールに会いに行きます。ドレフュスの目的は、自分の昇進がピカールのそれに比べて小さいという訴えです。すでに権力側に昇進しているピカールは、きっぱり「無理だ」とはねつけます。ドレフュスもしつこく求めず、引き下がります。これが最後の二人の出会いだったとのこと。

これは、日本人にすればとてもドライな印象を受けます。自分を救おうとしてくれた恩人のピカールに、昇進の不満を訴えにいったわけですからね。

あれほど正義を追究していたピカールも、何か冷たくて、このシーンは不思議な意味をもっているように思えます。人間は所詮エゴイストなのでしょうか?

samon
samon

ポランスキーは多くの名作を残していますが、本作もその一つになるかも知れません。皆様も機会があれば御覧ください。「反ユダヤの風潮」注視していきたいと思います。画像無しごめんなさい。劇場公開の映画のレビューは画像が手に入りにくいので困りますね。みんなどうしてるのかな。

コメント

タイトルとURLをコピーしました