リドリー・スコット監督作品「ハウス・オブ・グッチ」

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リドリー・スコット監督作品「ハウス・オブ・グッチ」を観ました。ユナイテッドシネマ長崎5番スクリーン15:15の回。

公開2週間ほどで、上映回数はどんどん少なくなり、劇場サイズも小さくなります。前から3列目で鑑賞しましたが、満足できる大きさのスクリーンに感じました。この劇場はいいですね。

料金も、同じシニア料金でも、TOHOシネマズは1200円ですが、こちらは1100円。TOHOでしかやっていない映画以外は、こちらがいいかなと思いました。

さて、大名作「最後の決闘裁判」に続く本作「ハウス・オブ・グッチ」はどうだったでしょうか?

samon
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リドリー・スコットの作品には、映像上のいくつかのタイプがあるように思えます。前作「最後の決闘裁判」では特有のブルーっぽい映像が印象的です。本作は、それがないタイプ。自然な光が利用され、その分独自性が減じますが、ドキュメントな印象は上がります。

この作品は、もしかしたら観る人を選ぶかなという気がします。つまり、ゴージャスなハイブランドの品物に興味が高い人には、宝の山の映像美を感じさせるのではないでしょうか。わたしのような、ブランド品やファッションにあまり興味が無い人には、今ひとつ「何を描きたいのか」がわからない感がありました。

「グッチ」という家族経営ブランドの崩壊の物語は、営々と企業経営を続けていくことの難しさを感じました。現在では企業の寿命はどんどん短くなっていると聞きます。特に同族経営では、この映画のように馬鹿な2代目がダメにしていくことは多いのでしょう。

叔父のアルド(アル・パチーノ)が、グッチの原初たる、良質の牛革をマウリッツオ夫婦(アダム・ドライバーとレディ・ガガ)に紹介する場面があります。牛の背をたたきながらアルドは、この牛は創業者のグッチオ・グッチの時の牛の子孫の牛であると語ります。それほどにこだわり抜いた理念に、グッチの製品としてのすばらしさを感じます。また、牛皮の製造の現場では、アルドは大変に慕われているようです。そこで働いている人たちもみな笑顔です。原材料の製造現場を大切にしていることが計り知れます。

また、アルドは世界へのビジネス展開にも熱心です。兄のルドルフォ(ジェレミー・アイアンズ)に「こんにちは」「調子はどう?」みたいに日本語で話しかけたのにはビックリしました。アルドは日本語を勉強しているといいます。なぜかというと、日本を世界戦略の足がかりにしようと考えていたからです。兄に富士山の近くの「御殿場」に店を出したいんだと語ります。保守的な兄は「モールはだめだぞ」といいます。これは「御殿場プレミアムアウトレット」のことを言っているようです。今でも、アウトレットのウエストゾーンにグッチの店は、かなりの面積でありますね。

このアルドの輝く経営の手腕が描かれるがゆえ、才能の無い息子のパオロ(ジャレッド・レノ)やビジネスに興味が無いマウリッツオのような2代目の愚かさが対比的に強調されます。

samon
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さて、話題のレディ・ガガです。イタリア女性臭さは十分に出しています。もともとレディ・ガガはイタリア系アメリカ人であり、裕福な家に育った箱入り娘です。パトリツッアを演じる素養は十分です。しかし、あまりに強烈なキャラクターゆえ、私はどうも好きになれません。

さて、この映画ではクラシック、ポップス、ロック等様々な音楽が流れます。「ラヴクラフトカントリー」でバックに流れる音楽とドラマの関係性が余りに密接であったので、この作品でもそれぞれの曲とシーンに関係があると思われますが、ここでは不思議に思ったワンシーンを書きます。

それは、マウリツイオを失ったパトリツッアが、湯船の中に沈んでいくシーンです。もう、浮かんでこないのかと思われるほど長く沈んでいます。絶望的な彼女のそのシーンで流れるのは、プッチーニのオペラ「蝶々夫人」第2幕の終わりに演奏される、「ハミングコーラス」です。夫ピンカートンが長崎に帰港し、喜びに夜も眠らずに待つ静かながら希望に満ちあふれた音楽です。むろん、ピンカートンとの再会には悲劇が蝶々夫人を待ち受けてはいるのですが、絶望の中のパトリツッアになぜこの音楽あてたのかはよく分かりません。

samon
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2時間37分の長尺の作品ですが、次から次に巻き起こる出来事に、退屈する暇はありません。しかしながら、私は心揺さぶられるということは少なかったように思います。名優の演技合戦は凄いのですが、テーマも掴みにくく、コメディとしてもあまり笑えませんでした。この映画は観る人を選ぶ気がします。

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