日曜の「クラシック音楽館」録画して聴いています。先日の放送レスピーギのバッハ関連とこのシンフォニーよかったです。シリーズラフマニノフを聴く、第1シンフォニーを掘ってみましょう。
結論
指揮者の高い鼻からすたすたと滴る汗での熱演。オケも全身全霊で弾いてます。でも曲自体がどうなのか。茫洋とした口ごもったような暗い曲でした。
第1交響曲
ラフマニノフは早くから交響曲の作曲に意欲を見せ、モスクワ音楽院在学中の1891年に最初のニ短調の交響曲を書き始めた。しかしこの試みは第1楽章を完成させた時点で挫折し、未完のままに終わった。この作品は現在ユース・シンフォニーとして知られている。
彼は卒業後の1895年になって再び同じニ短調で交響曲の作曲に取り組み始めた。途中病気による遅れがあったものの、同年8月30日に全4楽章を完成させた。楽譜にはエピグラフとして『新約聖書』の『ローマの信徒への手紙』からの一節が引用されている。献辞として「A. L. に」とイニシャルだけが記されているが、この「A. L.」とは当時ラフマニノフと恋愛関係にあったといわれるアンナ・ロドィジェンスカヤのことであろうと推測されている。アンナはロマの血を引く年上の人妻で、夫のピョートル・ロドィジェンスキーは「ジプシー奇想曲」作品12(1894年)の献呈先である。
wikiより引用
感想
初めて聞いたのは、吹奏楽の演奏で第4楽章でした。金管と打楽器の派手さが魅力でした。
「怒りの日」のおどろおどろしい旋律が全体を占めていく曲です。冒頭その部分を弦は全部ダウンボウで全力で弾いているのが印象的です。弦楽器が体を使って全身全霊で演奏するN響弦楽器奏者にまずは引きこまれます。まるでベルリンフィルのようです。
金管楽器奏者は演奏上の理由か、ほとんど体を動かしません。木管楽器はけっこう動かす人も多いですね。
1楽章途中からの低音弦楽器にはじまるフーガがとてもかっこよくしびれます。
2楽章は指揮のノセダは「常動曲」と言っていました。細かい三連符で動き回る曲です。印象は「清流」というより沼に湧き出るあぶくのように感じます。何かぼんやりした感じ。これはラフマニノフ特有のあの茫洋さですね。
3楽章も第2交響曲のような美しい旋律を期待していると「あら?」となります。得意のクラリネットソロもなにかもごもご口ごもっている感じ。全体にはっきりしません。
4楽章も威勢のいいトランペットのファンファーレや数々の打楽器が登場しますが、やはり全体に暗いです。すかっとしません。
この後述べる初演の失敗の原因はいろいろ言われていますが、曲自体の問題もかなりあったのではと思います。
不幸な初演
1897年のペテルブルク。ラフマニノフ(1873-1943)の交響曲第1番が初演された時、会場は騒然となり罵詈雑言が飛び交ったとか。無論、初演を担当したグラズノフの曲に対する無理解が引き金となったものの、キュイを始めとした有識者たちにはこの作品の真価を理解することができず、自信を喪失したラフマニノフはこの楽譜を出版禁止にするだけでなく、気持ちもすっかり落ち込んでしまい、1901年の「ピアノ協奏曲第2番」までは作曲への意欲さえをも失うほどだったのです。実際の交響曲は、彼が生涯に渡って固執していた「怒りの日」のモティーフが効果的に使われ、また見事な対位法が駆使された野心的な作品であり、なぜそこまで酷評されたのかはわかりませんが、まあ、ここで大成功を収めてしまったとしたら、交響曲第2番やピアノ協奏曲第2番が生まれなかったかもしれないことを考えると、時には「若き挫折」というものも必要なのかもしれません。「死の島」は1909年の作品。ベックリンの「死の島」(これを元にしたクリンガーの銅版画)からインスパイアされた曲で、こちらにもたっぷりと「怒りの日」のメロディが引用されています。
ネットより引用
この初演の大失敗は、指揮者のグラズノフの楽曲への無理解が因とされていますが、一方陰謀説もあります。
交響曲第1番をサンクトペテルブルクで初演すると大失敗。それには、ラフマニノフの才能を恐れるサンクトペテルブルク音楽界の陰謀が働いていたとも考えられています。
ネットより引用
また、グラズノフが飲み過ぎて酩酊していたとの説も。
交響曲第1番の初演(1897年3月15日、ペテルブルク)がなぜ失敗に終わったか、それは上記のラザレフの記者会見での発言に明らかであるが、要するに本番前に指揮者のグラズノフが飲み過ぎたというわけである。酩酊状態で、まともに指揮が出来なかったのが失敗の最大の原因だったようだ。
ネットより引用
でもこの初演当日、前半ではグラズノフの交響曲第6番の初演もあり、その日はダブル初演。もしも指揮者グラズノフが酩酊状態であるならば、自作の第6番だってまともに棒を振れなかったはずだ。けれども、こちらが失敗したという話しは聞いたことがない。ただ、リハーサルの時にグラズノフはラフマニノフの作品についてあれこれと修正の要望を出したと言われているが、そうなると単なる酩酊ではなく、ラフマニノフの交響曲第1番への根本的な共感が希薄だったのが失敗の要因とも考えられる。
「新しい道を切り開いた」と自信満々の作品を、徹底的に批判されてその後何年も作曲の筆を取れなくなったラフマニノフ。
その後のピアノ協奏曲第2番での復活を果たし、名曲を生み出していきますが、名曲達は革新的なものではなく、万人に受け入れられるメロディックな作品です。
彼は「新しい道を切り開く」ことは難しいということを悟ったのでしょうか?とすれば、芸術の残酷さを思うとともに、その後の甘美な名曲達を産んだ皮肉を感じてしまいます。
N響が提案した第2交響曲をけって第1番を選んだ指揮者のノセダ。汗だくの熱演、オケも全力演奏。それは伝わりましたが、やはり曲的にはどうなのかなと思います。第2交響曲も聴きたいものです。
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