フランツ・リストを再確認する 失神者が出るほどの人気ピアニストはただのちゃらい人ではなかった 人の曲を多数編曲をしたそのわけとは

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samon
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超絶技巧をひけらかし、ハンサムで女性の人気を独り占めにした作曲家フランツ・リスト。先日友人と話していて、彼は実はただのちゃらい男ではなかったということを聞きました。リストは本当はどんな人だったのでしょうか。

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結論

  • 派手で恋多き「俗」な部分と深い信仰に基づく「聖」なる部分の両方を、その人生の中でどちらも花開かせた人だった。
  • 「聖」なる部分に目を向けることで、リストの新たな魅力を知ることができる。
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ヴィルトォーゾピアニストとしてのリスト

1831年ニコロ・パガニーニの演奏を聴いて感銘を受け、自らも超絶技巧を目指した。同時代の人間である、エクトル・ベルリオーズフレデリック・ショパンロベルト・シューマンらと親交が深く、また音楽的にも大いに影響を受けた。1838年ドナウ川の氾濫のときにチャリティー・コンサートを行い、ブダペストに多額の災害救助金を寄付している。

ピアニストとしては当時のアイドル的存在でもあり、女性ファンの失神が続出したとの逸話も残る。また多くの女性と恋愛関係を結んだ。特に、マリー・ダグー伯爵夫人(後にダニエル・ステルンのペンネームで作家としても活動した)と恋に落ち、1835年スイスへ逃避行の後、約10年間の同棲生活を送る。2人の間には3人の子供が産まれ、その内の1人が、後に指揮者ハンス・フォン・ビューローの、さらにリヒャルト・ワーグナーの妻になるコジマである。

3児を儲けたものの、1844年にはマリーと別れた[注 2]。再びピアニストとして活躍したが、1847年に演奏旅行の途次であるキエフで、当地の大地主であったカロリーネ・ツー・ザイン=ヴィトゲンシュタイン侯爵夫人と恋に落ち、同棲した。彼女とは正式の結婚を望んだが、カトリックでは離婚が禁止されている上に、複雑な財産相続の問題も絡み、認められなかった

wikiようり引用

リストといえば、上記のことが取り立てられることが多いですね。「超絶技巧」「女性の失神者続出」「アイドル」「恋多き人生」などが、男であれば幾ばくかの嫉妬心と共に、「こいつ虫がすかねえ!」ということになるんじゃないでしょうか。故に彼を深く知ること自体から離れてしまうんですね。

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信仰心

リストはカトリックの家に生まれました。若い頃(15歳)フランスでカトリック思想に刺激を受けます。思想としてサン=シモンという人の考え方、即ち「新しいキリスト教は礼拝や形式から脱却して、人間は互いに兄弟として行動し、富者は貧者を救済すべきである」とする人道主義に傾いていきます。

27歳の時に起こったドナウ川の氾濫の際には、慈善コンサートを催しました。また、被害を受けた母国ハンガリー、ブダペストに多額の災害救助金を寄付しています。このことは、上記人道主義思想の具体的行動と考えられますね。

50歳のリストはローマに移住します。カトリックの大本山バチカンがあるローマは、さらに信仰への覚醒をもたらしたようです。リストは創作へと情熱を注ぎつつ、聖職者になる夢までもち始めます。この時期にカトリシズムに題材を求めた作品が作られていきます。それ以後も教会音楽が多く作られています。ローマで作った教会音楽には「巡礼の年 第3年」もありますね。

多数の編曲の意味

リストはベートーベンの交響曲やシューベルトの歌曲などをピアノの曲に編曲しています。これにより、録音機が無かった時代、ましてやレコードもCDも配信も無かった時代に、多くの人がピアノで再現して楽しむことができたわけです。また、知らなかった作曲家が広く知られていくきっかけともなったことでしょう。名前が知られて、楽譜が売れれば、その作曲家はうるおうわけです。人助けにもなったわけです。

シューマンがクララに送った歌曲集の冒頭に「献呈」という曲があるそうです。原曲はせわしない感じの曲らしいですが、これをピアノに編曲したリストの「献呈」は、シューマンのクララへの愛を感じさせるようなすてきな曲になっているそうです。

リストの編曲が多くの人を助け救うことになっていると思いませんか?

「巡礼の年 第3年」を聴く

リストがカトリックへの信仰を深めた時期に創作された「巡礼の年 第3年」を聴いてみました。ピアノはラザール・ベルマンです。

第1曲目から、朝・昼・夜に行うお祈りの曲です。非常に静かな曲です。派手な曲調とはまったく反対ですね。

2曲目から4曲目は、ローマにあるエステ荘というお城で創作された曲です。中でも「エステ荘の噴水」はリストの代表曲で演奏機会も多い名曲です。水の様子をアルペジオで表現したこの曲は、ドビュッシーやラベルに影響を与えました。楽譜の半ばに「「私が差し出した水は人の中で湧き出でる泉となり、永遠の生命となるであろう」というヨハネ福音書からの引用が掲げられているそうです。リストの人道的態度が感じられます。

その後は、「ものみな涙あり」という国に殉じた者たちへの哀歌、「葬送行進曲」と重々しい音楽が続きます。終曲は「心を高めよ」と題する荘厳な曲で、ミサの序誦の一節から採られたもの題名が掲げられています。この題名を知ってから聴くと「正しく生きなさい」と諭されているようです。

この「巡礼の年 第3年」はリストの信仰に基づいた宗教色の高い作品と分かります。

samon
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リストのこれまで知らなかった面がわかってよかったです。彼の作品を聴く楽しみが増えます。教えてくれた友人に感謝したいですね。やはり、人と会って話すことはとても素晴らしいことだと痛感しました。いろいろな人と会って、いろいなこと話したいですね。それは人生を豊かにしてくれる第1歩かも知れません。

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