ビンセント・プライス主演「地球最後の男」リチャード・マシスンの長編デビュー作 これを観て「アイ・アム・レジェンド」の意味が明確となる

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samon
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ウィル・スミス主演の「アイ・アム・レジェンド」大好きな作品です。誰もいない町とスピード感のあるゾンビたちの襲撃にハラハラドキドキの快作ですが、それを楽しむばかりに題名のきちんとした意味を受け止めていませんでした。本作「地球最後の男」を観ることでそのことに気づかされます。

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結論

立場の変化を知ることで、自分自身が信じてきたことが根底から崩れていくといういい知れない恐怖を味わうことができる。それが、「俺は伝説の男だったのか」の意味と分かります。ウィル・スミス版でそのへんすっ飛ばした方には、ぜひともオススメしたい作品です。

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あらすじ

1970年代、人間を死に追いやった後に吸血鬼として甦らせる吸血ウイルスが、世界中に蔓延した。人類が滅びる中、ただ一人生き残ったロバート・ネヴィルは、夜な夜な自分の家の周囲に集い、騒ぎ立てる吸血鬼たちと孤独感に苦しみながら、昼間は眠る吸血鬼たちを狩り出して杭を打ち込みながら、生活必需品の確保と、吸血鬼退治の方法を研究し続けるのだった。

そんなある日、ネヴィルは太陽の下で活動する女性を発見し、自宅に引きずり込む。ルースと名乗る女はやがて自分がスパイであること、そしてネヴィルにこの場所から逃げるように告げて姿を消すが、ネヴィルは結局自宅に留まり続ける。

そしてある夜、暴走族のような集団がネヴィル邸を襲撃し、周囲に集っていた吸血鬼たちを殺戮し、抵抗するネヴィルを痛めつけて連行する。彼らは吸血ウイルスに冒されながらも生き残り、新たなコミュニティを形成する新人類であった。

wikiより引用

ウィル・スミス版では、広大な無人の都市を車で駆け抜ける空撮映像が、巨大なスケールのディストピアをよく表現していました。本作は、空撮などの派手な映像は無いわけですが、主人公ネビルのやるせない孤独感が、ビンセント・プライスの表情や所作で細やかに表現されています。吸血鬼の恐れるニンニクの束や割られた鏡の交換、そして吸血鬼に打ち込む杭を作るための機械操作など、生きていくために必要な作業なれど、あまりに空しくなるそれらの作業に、たった1人残された彼の孤独感が浮彫にされていきます。

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ビンセント・プライス

Vincent Leonard Price, Jr.1911年5月27日 – 1993年10月25日は、アメリカ合衆国俳優。クラシックホラー映画の戦後アメリカの第一人者。マイケル・ジャクソンの「スリラー」でナレーションを務めたことでも有名。イギリスピーター・カッシングクリストファー・リーと並び、「三大怪奇スター」と称された。

特に1960年代前半、AIP制作のエドガー・アラン・ポー作品を原作とするシリーズの主演俳優として圧倒的な存在感を示した。美声を生かし声優としても活躍した。美術や食に精通した文化人としても高名。ティム・バートンが熱烈なファンであったことでも知られており、バートンの監督した映画『シザーハンズ』がプライスの遺作となった。

wikiより引用

youtubeのどなたかが、エドガー・アラン・ポー原作の映画化作品を激賞していました。特に「恐怖の振子」を推薦していました。この「恐怖の振子」主演はもちろんビンセント・プライスですが、何と脚本はリチェード・マシスンなんです。関係してますね。

ビンセントはポーのシリーズでは「アッシャー家の惨劇」「赤死病の仮面」などAIP製作ロジャー・コーマン監督の作品に出演し、ホラーのトップスターとなったのです。

映画監督のティム・バートンはプライスの熱心なファンとして知られる。バートンのデビュー作である、熱烈なプライスファンの少年を描いた短編アニメ『ヴィンセント』(1982年)には語り手として出演した。1993年に肺癌のため死去。バートン監督の『シザーハンズ』(1990年)が実写映画での遺作となった。

同上

映画「シザーハンズ」の中では、丘の上に住む発明家を演じました。主人公のエドワード(ジョニー・デップ)を発明し、クリスマスプレゼントに人間の手を取り付けてあげようとしますが、直前に死んでしまうという悲しい話でした。「シザーハンズ」もう一度観たくなりました。

リチャード・マシスン

:Richard Burton Matheson、1926年2月20日 – 2013年6月23日)は、アメリカ合衆国小説家SF作家ホラー小説作家、ファンタジー作家、ウエスタン作家、脚本家映画プロデューサー俳優

優れたストーリーテリング能力を駆使し、ひとつのアイディアを丁寧かつ繊細な描写で語るというスタイルを持つ。映像媒体の脚本でもその才能を遺憾なく発揮し、スティーヴン・スピルバーグの『激突!』(原作と脚本)、『ヘルハウス』(原作と脚本)、エドガー・アラン・ポー原作の『恐怖の振子』、『黒猫の怨霊』、『忍者と悪女』、自作品『Bid Time Return 』の改作脚本版『ある日どこかで』などの映画作品の他 、『トワイライト・ゾーン』や『事件記者コルチャック』などのテレビドラマの脚本も多く手がけている。『ある日どこかで』『ゴッドファーザーPARTII』ではカメオ出演している。

同上

「ヘルハウス」懐かしいですね。中学生くらいでした。主演のパメラ・フランクリン好きでした。

TVシリーズの「トワイライト・ゾーン」ではマシスンはあの「二万フィートの戦慄」の脚本を書いてます。映画版の「トワイライトゾーン」やジョ-ダン・ピールが案内する新しい「トワイライトゾーン」でも同エピソードが映像化されるほどの名作ですね。

アイ・アム・レジェンド

アイ・アム・レジェンド』(I Am Legend)は、2007年に製作された、ワーナー・ブラザース製作のSF映画である。

リチャード・マシスンの小説I Am Legend(日本語版は映画化に合わせて『地球最後の男』から『アイ・アム・レジェンド』に改題された)の3度目の映画化作品。2007年12月14日、日米同時公開された。日本での興行収入は43億円[2]

同上

「地球最後の男(The Last Man on Earth)」の題名が、マシスンの書いた原題「アイ・アム・レジェンド(俺は伝説の怪物)」とされ、題名的にはその衝撃のテーマに戻ったわけですが、このウィル・スミス版の映画の流れでは、逆にこのテーマの意味が曖昧になるという皮肉な結果になりました。

なぜならこの新作では、ゾンビ(吸血鬼)たちは、俊敏に動くものの会話等はなく、まるで知性の無い獣のように描かれてしまったからです。迫り来るゾンビ(新作ではダーク・シーカーと呼ばれます)の恐ろしさは、旧作でののろのろした動きの吸血鬼達とは比べものにならないくらい恐ろしく、スリリングです。

ですが、その獣たちが知的に語り合って、ウィル・スミスのことを「伝説の怪物」と恐れているとは想像できません。その重要な部分が吹っ飛んでしまったのです。

町山智宏氏が言ってましたが、ハリウッド大作の脚本は、会議で検討され、徹底的に叩かれて磨かれていくそうです。ウィル・スミス版も現代的なスピード感ある恐怖を求める余り、脚本はこの会議の場で違う方向に進んでしまったのかも知れません。

テーマ

本作のテーマであり、最もおそろしいのが、自分が怪物どもを退治するまともな人間だと思っていたのが、怪物どもからすればその人間こそ、自分たちと違って昼間に出歩き、自分たちを殺す恐ろしい伝説(レジェンド)の怪物であったということなのです。つまり見方や立場の変化で、全く違うとらえ方になってしまう恐怖です。

そのことに気づいたビンセント・プライス演ずるネビルは、絶望して新しい人類である吸血鬼達の矢を受けて死んでしまうわけです。

先日アマプラで「フロッグ」というスリラーを観ましたが、この作品も見方が変化して、状況が一変するというものでした。これもおもしろかったです。良かったら観てください。

samon
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長くなってしまいました。でも、「地球最後の男」を観ることで、「アイ・アム・レジェンド」の本当の意味がよく分かり、そのテーマの恐ろしさを感じることができました。新作の皮肉にも気がつくことができました。私にとっては、よい考察となり満足しています。皆様も、「地球最後の男」と「アイ・アム・レジェンド」の2本ぜひ御覧になってください。そういえば、「地球最後の男オメガマン」というのがあります。こんど機会あれば観てみよう。

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